このたび「ヤギ日記」のコーナーをつくってみました
ヤギ飼いの日常は、ひとつひとつは瑣末な、さまざまな出来事の連続体と云えます
そのときどきの様子を日記調にして臨場感をもってお届けすることで、
これからヤギを飼ってみようとする方に肌感を持って欲しい
と思ったのです
また、既にヤギを飼っていらっしゃる方から「そうなんだよお」という
あるある感を共鳴して欲しい
と思っています
大事件はきっとありません
本当に雑多で小さな短編になるでしよう
良くもまあ、これだけいろいろな出来事が日替わりで起こるものだと
感心していただけると思います
ほぼ日刊の気概で、続くところまでやってみます
ヤギという動物との向き合い方などについては「私のヤギ飼い記」にまとめてあります
また、ヤギの飼養に必要な知識や技術的なことは「ヤギ飼いFAQ」に整理しました
そちらも参考にしてください
昨日とは打って変わってお昼前からぐずついた一日になった。こういう日はヤギたちも小屋の中にいることが多くなるので、敷料であるモミガラが汚れがちになる。新しいモミガラは11月にならないと出てこないので、それまで凌ぐか、それともまたどこからかモミガラを手配するか考えないといけない。中央の部屋がヤギたちの一番の居場所になるので特に汚れる。そろそろ交換時。思案。
ヤギバターさんはもう一度、冷凍解凍の半強制分離でバターをつくってみるとのことで、新しいミルクをお渡しした。来週末にはイベントをやってヤギミルクプリンを販売したいとも言う。なんとも行動力のある方である。もちろん協力することにした。
遠心分離機の方は今日の一日あちこちいじったお陰で大分分かってきた。明日もう一日いじり倒して、明後日に実験運転してみようと思う。構造や原理なども分かってきた。なんとなく、だが、いけそうな気がする。
乞ご期待。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
今日はフン籠が一杯になったので堆肥場に捨てに行った。毎日、ヤギ小屋などに落ちているフンを拾って、手提げ籠に入れ、それをさらに大きな一抱えもある籠に入れて溜める。この大きな籠はみっつあるのだが、やがてそれも一杯になり、そうなると籠ごと軽トラで堆肥場に持って行って捨てるのである。週に一度くらいの頻度になる。この堆肥場は知り合いの畑の脇を借りているのだが、ちょうどその知り合いが野良仕事をしていたので、少し世間話しをした。じゃがいもを育てた後整理をしているんだと言う。農家の方は作ることで終わるわけではない。こうして最後の整理も一仕事である。これからはニンジンくらい。作目のピークは過ぎている。冬になったら、来春の準備が始まる。少しは骨休めして一服してください。
昨日、遠心分離機のことを書いた。あれからマニュアルと実物を見比べ続けているが、どうも良く分からない。部品が足らないような気がするし、仕様が変更され、マニュアルが追いついていないようにも思える。しようがないので代理店に問い合わせてみた。真摯に対応してくれるが、よろず商社なので要領を得ない。そうしている内、もうひとつ分かったことがある。それはいずれにせよ使用者がこの機械について相当精通しないといけないということである。組み上がったので、ハイおしまいとはならないのだ。考えてみれば当たり前のことなのだが、調理器具なのだから、使ったら洗浄しないといけない。部品を分解し、洗浄して乾かし、また組み立て直すことを使用の都度行うのであり、そのことを苦に思わずにできるようになる必要がある。部品数は25点あり、結構精密で細かいものもある。馴れが大事だと思うが、いずれなかなかのルーチンになる。つまり、毎日ではなく、何日か置きにミルクを溜めてまとめてやった方が良い。機械の持っている性格がうっすら分かった気のする日だった。
こうなったら腰を据えよう。まず部品とマニュアルを一致させよう。分解することにも、組み立て直すことも反復しよう。
今日のミルクは冷凍庫に入れた。とことんやることにした。
今日のヤギ時間:トータル4時間
ぐずついた天気の日はやれることが限られる。ヤギのことはルーチンワークを淡々とこなし、あとはいくつか溜まっている家のことを片付けることにした。
待望の遠心分離機が届いたので、組み立てた。(私にとっては)それなりに金額の張る買い物だったので慎重にやったこともあるが、海外製でマニュアルが英語版の(不親切な)ものだったので、ああでもない、こうでもないとゆうに半日もかかった。組み立ててみたものの動かしてみないとこれで良いかどうか分からない。明日以降のお楽しみだが、なに、焦ることはない。ああでもない、こうでもないで行こう。
今回、ペットフード会社との関係を見直した。直接的には、ここから支給される筈の指定容器などが何度も何度も滞ってしまい、これでは取引にならないことが原因である。そのやりとりの過程で信頼関係がすっかり崩れてしまった。長いおつきあいなので残念だかが、解消することにした。本日の搾乳・殺菌・詰め込み、明日の発送を以って出荷を停止して、関係を精算する。特定のところに取引が寡占的に集中し、依存度が高まることへの懸念もあった。こうなると、私が努力しなくなる。独歩の気概を失ってはいけないと思う。
この会社への提供は生乳だけだった。従って、ヤギをきちんと飼って、良いミルクをたくさんとり、それを丁寧に殺菌・瓶詰めすることに習熟したが、生乳を加工するノウハウが培われたわけではない。今年の搾乳期間はあと2ヶ月ほどはあるので、いろいろなことを試そうと考えている。直販のためのウェブサイトも立ち上げたい。販路が見つかって軌道に乗せるには、来年から数年はかかるだろうが、それを楽しみに変えることが私にはまだできると思っている。戦略が大事。まずはレストランでの消費を高めるためにメニューを開発したい。遠心分離機には期待している。生クリームが精製できれば可能性は飛躍的に高まるので全力で取り組もう。その副産物として生じるであろうスキムミルクは粉乳にしてヘルシーを謳い文句にペット用で販売できないだろうか、レンネット系のチーズも魅力的だし、他にもいろいろな活用がありそうだ、などと考え始めている。これからの寒い季節がチャンス、動きながらもちゃんと練ることにしたい。
今日のヤギ時間:トータル2時間30分
今日は穏やかな秋晴れで、気持ちいい一日だった。こういう日が何日も続いてくれれば良いのだが。歯医者の定期検診があり、出かけた。歯垢などを綺麗に掃除してもらう。ありがたいが、こんな日は外でなにかしたい。面倒臭い奴なのである。
国勢調査が最後の詰めの時期になってきた。
どなたが報告できて、どなたがまだなのか、調査員向けにデータが開示されるので、まだとおぼしき方を再訪して、ご協力を何度かお願いし、それでもダメなら近隣に聞き取って私が調査票を代理で作成する。つまりは、全員をくまなく塗りつぶすまで続けるわけである。私の持ちエリアは残り数名。この数名が大変なんだろうな。頑張ろう。
先にヤギの血統登録の内容を紹介したが、ほとんどの方は、たとえヤギをお飼いの方であっても血統登録のことは知らないのではないか。少なくとも身近ではないと思われる。その程度のものなのである。登録するメリットと登録しないデメリットということを言ったが、要するに血統登録書があると高く売買される、あるいは血統書がないとコンクールなどに参加できない、というような下世話なことも含む。こういう下世話感がないので健全性は保たれているが、一向に拍車がかからないことも事実である。どうすれば打開できるんだろう。
血統登録がそもそもはヤギという家畜の健全な発展を願ってのものならば、私はやはり「人」に注目した認定制度を導入することが良いと思う。畜産技術協会などが主導して行い、最上級の認定者には本登録の判定権利も与える。つまり、この民間の認定者が立ち会えば秋田などの遠方のところでも本登録が現実的になってくる。大体が協会の支部がないので本登録の判定ができないということ自体、制度だけつくって中身が伴わない官僚的なやり方であり、ある意味、畜産技術協会の怠慢である。また、認定者は、なにより基礎登録を推進させたい。そのために基礎登録のハードルを下げて欲しい。
私たちの少し前の時代にはたくさんヤギがおり「名人」と言われる方が方々にいた。貧しくて飼養科学などもなかった時代の彼らの市政の知恵を消滅させてはいけないと思う。そういう先輩の中には血統ヤギに否定的な方も多い。血統ではなく、ご自分の目でヤギの優劣を見分ける。だから、血統登録を進めて、ヤギの健全な発展を図ることと、かつての市政の知恵を継承することは矛盾するかのように聞こえるかも知れないが、そうではない。一部の機関、一部の地域だけで表面的に進められる血統登録や育種を、ヤギに関わる国民全体に昇華させていくために、どうやって市政のヤギ飼いさんたちを巻き込んでいくか、真剣に考えなければいけない。認定制度や知恵の継承はその手段であり、明治以来の伝統的なやり方と近代のやり方との人材を結びつけていくということである。ああ、誰か真剣にやらんだろうか。
今日のヤギ時間:トータル3時間
メッコは食欲も出てきて、すっかり良くなったように見えるが、乳量はなかなかである。良く出ていた頃に比べると半分ほどかな。いや、乳量を戻したいのは目先のことにとらわれてのことではない。体調復帰のバロメータなんだろうと思っているからである。ただ、今の季節は気温の低下とともに乳量も落ちる時期である。だから、どのくらいに戻れば体調復帰と考えて良いかという基準は難しい。お乳を搾り始めると程良く乳房が張ってきている。これで良し、としようか。
今年の春に産まれた子ヤギの産仔登録は書類や写真などの下審査が終わり、これから承認の手続きに入る。担当は畜産技術協会というところであり、主に緬羊を扱う協会である。ヤギの血統登録は昭和24年頃から始まったらしい。ヤギが日本でさかに飼われていた頃だが、最初はさぞかし大変だったろうと想う。
今は大きく3つの登録方法がある。①産子登録、②本登録、③基礎登録である。①②は、いわゆる血統登録であり、このヤギは日本ザーネンなどの純血種であることを証明する。血統登録した両親から産まれた子ヤギであることが条件である。②の本登録は生後12ヶ月を過ぎた純血種で、その形態や乳量などを第三者が認定する必要がある。つまり、誰かが立ち会わないといけないことになり、秋田で本登録までを行うのは難しい。畜産技術協会の支部がない県なので、その誰かという人材がいないからである。③の基礎登録は、血統登録できないが、形質の良好なものに対して開かれた登録方法である。これも誰かが立ち会って判定するか、いろいろな角度の写真などで細かく確認するため、産子登録よりもハードルは高い。両親が基礎登録されていれば、その子は産子登録できるが、純種を証明するわけではない。
①〜③のすべてに言えるのは、登録するメリット、あるいは登録しないデメリットがはっきりしない。そのため登録数が伸び悩んでいる。基礎登録のハードルを下げて、まずは登録の気運を醸成することが大事だと思う。「素性」を明らかにするという風潮をヤギ界の中で積み上げていかなければならないと思う。血統の管理は大切なことであるが、実際問題としてどうするかは難問。ヤギに関わるいろいろな人材を集めて多角的な座談会でもやってみたら良いアイデアが出るのではないか。
今日のヤギ時間:トータル5時間
私の牧場にいるヤギは、ザーネンもアルパインも乳用の品種である。お乳をたくさん、そして長期間出せるよう品種改良されたものである。乳量は出産後、1ヶ月でピークを迎え、暫時減っていく。秋に入り寒くなってくると体温維持にエネルギーを使うのでさらに乳量は落ちる。出産の2-3ヶ月か前の真冬、乳量が500ccほどまで落ちたら乾乳するのが普通である。私はもう少し早いかな。積雪したらやめる。手がかじかむし、足元が悪いので搾乳どころじゃなくなるからである。
しつこく搾り続けるとどうなるか。乳量は落ちるものの2年ほどは泌乳し続けるらしい。凄いな。凄いというのはヤギへの賛辞であり、2年間絞り続けた実験者に対してである。
私は手搾りしている。ヤギ仲間の中には機械搾りの方もいる。こういう仲間と会うと、大概機械自慢が始まる。もう手絞りには戻れない、パイプを通って空気にミルクが触れないのて酸化劣化しない、など。パイプの搾乳後の洗浄は専用の洗剤で洗い流すので問題ないと言う。私は疑い深い性格なので、このくだりが気になって購入していない。それに搾乳の時間はヤギとの大切なコミュニケーションの時間でもある。ただ、確かに手間はかかる。5匹までかな。それを超えたら手搾りは限界だろう。握力が持たない。ただ、5匹までだと機械を入れるメリットがない。つまり時間の短縮にはつながらない。手で搾れる間は手搾りにするのが良いのではないだろうか。
日に二度、決まりごとで乳搾りをする。事前と事後にペーパータオルで乳房、特に乳首、ついて体も入念に拭いて汚れを取る。ステンレスのバケツにミルクをとって、餌をあげる。餌を食べている間、ミルクは殺菌に入る。夫婦で息を合わせて仕事する。搾乳自体は5分ほどで終わるが、準備や餌やりなどで15分。4匹いるので、ちょうど1時間の工程である。
その前後で小屋の掃除をする。パドックのフンなども拾う。これを毎朝、毎夕、10数年間、一日も休むことなく続けてきた。凄いな。凄いというのは、我ながらという意味である。
今日のヤギ時間:トータル3時間
つい数日前まで半袖で額には汗をかいていたのに、今日は長袖の上にウインドウブレーカーまで羽織っている。この町に移り住んでから、いつも「季節の扉」を感じる。春夏秋冬ごとに季節の扉が開かれる瞬間を感じるのである。ある日突然、あっ春が来た、と例えば思うのだ。扉が開いたり、閉まったりする音も聞こえそうだ。人新世時代の異常気象と言われながら、それでもこうして四季が廻る。そこに幸せを思うのは、私ももう歳だということだろうか。
急に寒くなったからか栗がボタボタと落ちる。なにも世話をしていない普通のヤマグリだが、蒸して食べると非常に美味い。ほとんどヤギたちにあげてしまうが、大ぶりのものは自宅に持ち帰る。いつも不思議に思うことがある。落ち栗はなかなかみつからないのに、ひとつみつかると次々に目に入ってくるのは何故だろう。落ちた栗のすぐその隣に別の栗が落ちている、ここにも、あそこにも。私は栗目現象と呼んでいるが、つまり視神経が栗を発見することに馴れるからなのだろうか。不思議だ。
今日も白鳥の群れが渡ってきた。何群も。渡りのルートを辿ればシベリアから直行するわけではなく、樺太、北海道、青森といったところを経由して何泊かしてやってくる。この白鳥たちも全部がここで越冬するわけではなく、宮城の伊豆沼などにさらに南下するものも多いだろう。いずれにせよ、季節が巡ってきた。
メッコの食欲はこの数日で戻った。良く食べられるようになった。良いときの95%という感じだろうか。今日までは薬の影響があるかも知れないので、念のために搾ったミルクを捨てているが、明日からは復帰させよう。
発情ということでいえば、相変わらず黒ヤギのルナが良く分からない。いつもと違う振る舞いはあるが、不規則なのでまったく予想がつかない。年齢的に恐らく今回が妊娠の最後のチャンスだと思う。健やかな余生のためにも有終の美を飾って欲しいのだが。
これから日もどんどん短くなる。今は日没が5時頃だろうか。どんどん短くなってもう直、4時過ぎには暗くなる。こういうときは良く寝るに限る。
今日のヤギ時間:トータル3時間
今日は随分冷え込んだ。北の空から白鳥の一群れが、日本海を渡って今年もやってきた。20羽ほど。ようこそ、なのか、お帰りなのか。秋から冬への準備が始まっている。もう直、ヤギたちも体に脂肪をまとって丸くなる。天高く、ヤギ肥ゆる秋。
ヤギバターさんが3回目の実験でヤギバターづくりに成功した。ばんざ〜い!QBテナーで冷凍3リットル程度をお渡しし、出来たバターは大匙数杯というから、歩留まりはすこぶる良くない。まあ、今は「出来た」ことを素直に祝福すべきだろう。
YouTubeの動画でヤギミルクバターを作っているものがあった。ロシア語だったが、ヤギバターさんは執念で知り合いのロシア人をつかまえて、通訳してもらったそうだ。そのロシアの方は笑って「お話しすべき内容のことを言っていない」「ミルクを常温に戻すと良い、というヤバいことを言っている」と応えたそうである。常温に戻す=劣化の促進、だから、私の疑問にもつながる。やはり自然分離に劣化は避けられない。
焼いたトーストにつけて食べたら、すこぶる美味かったという。遠心分離機はまだ来ないが、期待が膨らむ。
今日のヤギ時間:トータル4時間
いちぢくに続いてリンにも発情が来た。親子で同期した。リンは夕方にピークを迎えたらしい。いつもなら大人しく部屋に入って、搾乳・餌やりの順番を待つのだが、今日は一向にその気がない。なんど呼んでも振り向きもしないいで、近寄ると、捕まってたまるかと逃げ出す始末。埒が開かず夕方の搾乳も餌やりも諦めた。こんなことは初めてだ。餌はともかくとして、日に二回は搾ってあげないとおっぱいが張って、厄介なことになる。明日は早めに起きよう。次回に来るだろう発情のタイミングに合わせて精液を取り寄せようと思う。問題はメッコだな。あれは発情だったのだろうか。まあ、精液が手元にないよりはあった方が良いからダメもとで取り寄せてみようか。
人工授精とは、広くはオスの精液の採取から、その処置・検査なども含むが、受け取る側でやれることは、①いつ発情がくるかという見極めとそれに合わせた取り寄せ、②精液の保管(光、振動、温度)、③注入のタイミング、④そのやり方、程度しかない。1回での成功率は60%程度と言われており、まあ2回やるつもりでいれば間違いないレベルである。
成功させるために一番大切なことが「メスの発情の見極め」である。これができれば、ほぼほぼ受胎する。日頃の観察の賜物であり、それが腕の見せどころと言える。そんなこともあって人工授精は飼い主の方本人が行うことを奨めている。私がいくら有資格者でも飼い主にかなわないことが沢山ある。ご自分のヤギに処置する分には資格は無用である。どうか、試してみて欲しい。
ああ、今回はダメかなあと思ったときでも受胎することもあれば、よしっ、今回は完璧だというのに大振りの三振を期すときもある。もう「神秘」としか言いようがない。そんな神秘体験できる季節がまたやってくる。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
日が暮れるとめっきり寒い。もう一枚なにか羽織りたくなる。ヤギ小屋のドアも今晩は閉めた。寒暖差が激しい季節、体調管理には気をつけよう。
今朝からいちぢくがよく啼く。啼く、というよりわめいている。尻尾振りなどはないが、発情のサインだろう。このようにはっきりしたサインは、今シーズン初めてで、少し嬉しい。次は10/30頃だろうから、そこで上手く受胎すれば、来春3/30頃の出産となる。う〜ん、理想的。いちぢくは昨年、発情の山がふたつあって、人工授精に失敗した個体である。そんなこともすっかり忘れて、取らぬ狸の皮を数えてしまうのである。
ヤギの動物としての要素は、人間とどう関わろうとも変わらない。私たち人間の動物としての要素が、どのように生きようとも変わらないのと同等に、である。栄養や運動、睡眠、あるいは衛生など。だから、ヤギと上手くつきあうためにはこの動物としての要素をきちんと尊重しなければならない。例えば、ヤギを肉食獣に変えることはなんびとも出来ない。だが、それさえわきまえていれば、人間とヤギがどう関わるかはまったく自由であって、変な先入観などない方がむしろ良い。私が学生などの若い方がヤギと関わることを歓迎するのは、この可能性を広げたいとら思っているからである。
ヤギと煙は高いところが好き、という諺?がある。斜面の上や崖に登るヤギを見ると「飛ぶ準備をしている」とUさんは思うのだそうだ。私にそういう感覚はないから、きっと彼女ならではのものかも知れない。ヤギが空を飛べないことは小学生でも知っている。Uさんは自分の中で生まれたこの感覚がどういうことなのか平たくしないといけない。動物としてのヤギを飛ばすことはなんびともできない。人間との関わりの中で飛ぶとはどういうことかを定義することになる。
私が住んでいる土地は戦後の開墾地である。戦後の失地回復の中、町(国)が入植を希望する方に払い下げた。入植のみなさんは頑張って拓き、しかし、一代で絶えた。子供たちが全員都会に出て行ってしまったのである。だから、私が移り住んだ頃は20-30年放置された、廃屋と雑木の荒地だった。鬱蒼として土地の形状すら分からないほど生い茂った木々や竹林を伐り落とし、それを燃やす毎日が続いた、あるとき道端に軽トラが止まって、ひとりの男性が近寄ってきた。「お前さんかあ、横浜から来たあだまのおがしいっていう奴は。言っておぐども、ここの土地はおらがだならけるって言ってもいらねえ土地だ」と、それだけ言って、またら軽トラでどこかに行ってしまった。不思議に頭には来なかった。私には、この荒地に透き通って見える一枚の絵があった。
秋を迎える頃には随分平定し、翌年の夏にはレストランの開業に漕ぎ着けた。あるとき道端に軽トラが止まって、あのときの男性がまた近寄ってきた。「いやあ〜、たまげだ。いぐなったなあ!いやあ〜、凄い、凄い」と言って、また軽トラでどこかに行ってしまった、私には見えていた絵が、実像として彼の目にも映るようになったのだ。
私は、是非Uさんの実像を見てみたい。
今日のヤギ時間:トータル6時間30分
今日はUさんが来られた。今週末に学祭があって、そこに出展するための動画を撮影するためだった。
研究テーマにおいて、なぜヤギなのかをフォーカスするよう教授から指摘されているらしい。ヤギの特質、つまり魅力はなにか、なぜヤギでなければいけないのかということを言語化して整理しなくてはいけないようでお悩みだった。この教授の方に甚だ失礼であることを承知の上で申し上げると、この指摘は愚問である気がする。もし言語化するとしても、会社の面接試験のような模範的なものではなく、尖ったありのままの表現で良いのではないか。綺麗に言語化することで本来そこにあった筈のエネルギーや荒々しい情熱のようなものがそぐわれてしまうならもったいない。
私の店にはヤギのぬいぐるみや版画を置いている。ぬいぐるみは東久留米市のMさんという方に特別にお願いして作ってもらったものである。特別あつらえの手製だから相応に高くて、滅多に売れることはない。だが、私はこの方の作品が好きで、他に変えるつもりはない。Mさんは「ヤギのちょっと情けなくて切ない感じが好き」なんだそうである。版画はプロ作家の石倉悦加さんのもので、ご自分の作品が「こしょこしょ喋ってたら素敵だ」と感じる方である。このおふたりともヤギを実際に飼われているわけではないからかも知れないが、これらの感覚を私は理解・共鳴することがまったくできない。でもそれでいいんだと思う。そうだとしても私のこのおふたかたの作品が大好きなのである。
人はそれぞれで良いのである。しかし、それぞれ異なる感性や価値観を持った人が作る作品が、そのそれぞれの底辺に流れる普遍的ななにかを雄弁に語る。そこに言葉は無用であり、それこそアートの力である筈だ。そういう学究の庭で研究テーマの言及があるのは不思議なことだ。
私は2011年の夏に今のレストランを開業したが、万人に受け入れられる飲食店であろうとは当初から思っていなかった。当時、秋田県民は100万人。こういうコンセプトを10人に一人が受け入れたら10万人。その10万人の50人に一人が行ってみようと行動を起こしたら2千人。要するに2,000人の方にはお越しいただけるかな、という計算だった。それならどうにかやっていける。つまり、万人に受けるのではなく、自分を誤魔化さないでやっていこうと思っていた。万人に受け入れてもらおうという路線だったらきっと店を潰していた。自分を誤魔化さないということは、大変難しい。他人は騙せるが、自分を騙すことはできないからだ。愚直にやるしかないのだ。
ヤギの特質や魅力を誰もが納得するよう言葉にすることに意味があるとは思えない。それが「研究」というものなら、日本の研究とはなんとつまらないものかと思う。
私にはUさんが目指す「空飛ぶヤギ」のことは理解できない。だから、応援団であろうとも、理解者とは言えない。でも変に小さく丸くならないで今のままでなにかのかたちを創って欲しい。
今日のヤギ時間:トータル8時間30分
昨日は中秋の名月だったが、満月は今日らしい、旧暦を新暦に置き換えるズレのためにそういうことが起こるそうだ。昨晩の名月会は延期されたが、今日は薄いウロコ雲からまんまるのお月さんが浮かんでいる。暗くなってくるとかなり寒い。このところ、ヤギ小屋の窓を閉めるようになった。もっと寒くなると入り口のドアも閉めるようになる。いよいよそういう季節を迎えるんだな。この時期になると、やはりここは秋田だなと思う。
日中は刈り払いの雑草の山を片づけた。一昨日の間に少しはやっておいたが、まだ軽トラで4杯分もあった。積んでは降ろして、さすが軽トラ4杯は一仕事である。
ヤギ仲間から、発情がわからないんだけど、と心配する相談があった。もう10月だから確かに気になる。気にはなるが、うちの牧場もそうだから、こればかりは待つしかないとお応えした。ホントにこういう答え方しかないのだ。ヤギ飼い泣かせの季節である。
この春産まれて里子に出た子ヤギたちの血統書申請をした。正確には「産仔登録」という。血統登録されている両親から産まれてきた子が登録できる。この他「本登録」、「基礎登録」というものがある。仔細はまたの機会で説明したい。日本のヤギの登録はなかなか進んでいないが、育種のためにま大事なことであるので少しの手間は惜しみたくない。申請先である畜産技術協会で然るべき審査後に登録書と耳標が送られてくる。繁殖を目的とした里親さんたちにお送りしている。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
メッコの振る舞いがいつもと違う。少しそわそわしてリンを追いかけたりする。記録を紐解くとちょうど3週間前もそうだった。これ、「発情」かも知れない。でも、はっきりしたものではなく、???の微妙なレベル。次のタイミングで人工授精すれば(そして、本当に発情なのなら)3月の下旬、次をしっかり確認することに当てて様子を伺い、そのまた次のタイミングにかけるなら4月の中旬の出産、などと妄想してしまう。う〜ん、迷うなあ、迷う。もう少し悩ませてほしい。
秋田市の実家の庭木を伐採することになったことは先日述べたが、伐採を担当する方との打合せと下見があった。10本ほどは形を整えるが、あとの50本以上は根本から伐採する。二人がかりで一日では終わらない工程とのことだった。以前は母の弟、つまり叔父さんがときどきやってきて剪定していたが、2年前に亡くなって以来、伸び放題になってしまった。作業の初日は23日とし、私も立ち会うことになった。木を伐ることは、少し心が痛むことであるが、せめて見届けよう。
実家までは往復すると2時間半はかかる。折角なので、いつもなら少し世間話しなどをして時間を過ごすのであるが、今日はそそくさと町に戻った。中秋の名月を愛でる会があって、そのボランティアスタッフに手を上げていたためだ。青い空が広がっていた日中だったが、夕方になるにつれて曇天に。月が出る頃には雲が広がってしまい、残念ながら延期になった。自然に関わることはしょうがない。
こうしたイベントがあって、それに沿って行動を決めていたとき、そのイベントが急になくなると余裕が生まれる筈なのに、心持ちはそうならない。たいしたことをやっていない一日になったのに、たいした一日であったような感覚が残ってしまうのは何故だろう。
ただ、夜はラジオの講義を聴いたり、本を読んだり、調べ物をしたり、こういう時間の送り方は久々だったかもしれない。里子に出た仔ヤギたちの産子登録(血統申請)も終えた。イベント中止のお陰だな。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
今日もシルバー人材センターの方が来て雑草むしりの続き、さらに刈り払いをした。自分の土地ではないのて勝手が違うのは理解できるが、シルバーさんの仕事ぶりはこんなもんなのだろうか。仕上げを自分でやんなきゃダメだな。年々、自分でできることは限られてくるが、だから誰か他人に頼むわけであるが、そうなると料金がかかる上に良い出来高と言えないケースも出てくる。もっと私が寛容になれば良いのかもしれないが、それでは外に任せる意味が半減する。当たり外れがあって、つきっきりで指示などをしなければいけないシルバーではなく、造園系列のサブスクのようなサービスを探して、長くつきあうことが良いのかも知れない。ちょっと当たってみよう。
国勢調査の仕事は今日もあった。雨が降る前にやってしまおうと昼過ぎから動き始めた。「回答はお済みですか」パンフレットを各屋屋に配るだけなのだが、それでも2時間はかかる。この調査の仕事をやった日は寝つきが良い。今日も早めに寝ることにしよう。
家に戻ると、Yさんが畑の芋つるを持ってきてくれた。私たち人間には、さつま芋とりんご。昨日、電話をもらっていたが、なかなか引き取るに行く時間がない。新鮮なうちに、と業を煮やしてご自分で持ってきてくれたのである。ありがたや。
シルバーさんが刈り取った雑草の山を軽トラに積んで捨てにいく。2往復したら暗くなってしまった。それから夕方のヤギ時間。
娘が孫と一緒に遊びに来ているのて、束の間孫と遊ぶ。もう寝る時間だ。
今日のヤギ時間:トータル4時間
今日は朝早くからシルバー人材センターの方にきていただき縁石の雑草むしりなどをしてもらった。こうした仕事は今まですべて私たち夫婦がやっていたが、私は腰痛、妻はめまい症、どちらも重くはないが悩まされており、今回は他の力に頼ることにした。これからこうなることが多くなるんだろうな。
昨日、苛性ソーダを購入できたので、石鹸づくりの材料は概ね揃ったが、肝心のヤギミルクがない。ペットフード会社から緊急でMというパテスリーに送って欲しいとオーダーされたので、こちらが優先である。どうやら石鹸づくりには料理とあい通じるものを感じる。熟成とか、温度管理。苛性ソーダ液の扱いだけ気をつければ楽しくやれそうだ。週が明けたらやれるかな。
ヤギの方は日々のルーチンを淡々とこなしている。メッコの食欲も少しずつだが戻っている。発情はまだら認められない。先日来られた岩手のOさんから連絡があり、第二牧場として名乗りをあげたい、つまり乳用として役目を終えたヤギたちの余生の里親になりたいという申し出をいただいた。ありがたいお話しだなあ。ヤギの輪を広げていくと悪いことよりも、良い出会いの方が確実に多い。さつまいもの蔓があるから取りに来て、という連絡もたくさんある。今日は青空の広がりの中にスジグモ。残暑とは言え、秋である。
今日のヤギ時間:トータル4時間
この夏は今までにないような忙しい毎日だったが、稲刈りのシーズンになるとみなさん、外食どころではなくなるので店は随分落ち着いている。では、暇になって余裕ある毎日かと言うとそんなことはなく、不思議にも結構慌ただしいのである。夏の間できなかったことを、時間ができたので入れてしまうからだろう。いわゆる貧乏性の暇なしの典型だな、と思う。
今日はフン拾いの話しをしよう。
私には4人の孫がおり、一番のおちびさんは4歳になるのだが、働く車や昆虫などが大好きで、図鑑物などを良く眺めている。「飼育図鑑」というタイトルのものがあったので開いてみるとヤギのことも載っている。”フンは毎日拾いましょう“と書いてあり、模範的である。実際には、私のようにフンを毎日拾っている者は極少数派なのではないか。稲藁などを敷くとフンは隙間からこぼれ落ちるので、拾おうとしても拾えなくなる。ただ、隙間からこぼれ落ちるので目につかない。こうして、ある程度まとめて清掃するという方が多いように思う。だが、どうしても臭いが立ってくるので、私のようにレストランなどをやっている者は、そういう飼い方はできない。こまめに拾い集めて、常態として臭いも立たない清潔な床を目指すのである。
床に散乱したフンを風呂用の椅子に座りながら集めてカゴに入れる。カゴは近くのDIYセンターで買った数百円の安物である。いくつか試したが全体や網目の大きさがちょうどいいので重宝している。すぐに壊れてしまうが、消耗品として扱えば良い。床にはモミガラが敷いてあるから、拾うとき、このモミガラもいくばくか一緒にカゴに入ってしまう。ある程度溜まったところでカゴをフルフル振るうとカゴの網目からモミガラだけが床に落ちて、フンはカゴに残る。こうしてフンで一杯になったら、大きなカゴに移し入れる。この大きなカゴが三杯いっぱいになったら、軽トラに乗せて堆肥場まで運ぶのである。週に一度は堆肥場に行っている。堆肥場では一年かけて完熟させる。こうして肥料(土壌改良材)として畑に戻すのである。
これを飽きもせず15年続けてやってきた。我ながら偉いもんだ。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
先日少し触れたが、ヤギミルク石鹸を作ってみようと思う。石鹸づくりには苛性ソーダや精製水、油が必要で、その一部は薬局で入手することになる。ところがこの中で「苛性ソーダ」は劇物扱いになるので、扱っている薬局がなかなかない。こういう劇物を扱うには薬局の方にも特別な許可が必要だそうで、そこまでしているところを探さないといけない。私は日用品や店の食材の一部まで通販をよく使う。情報と物流の進展は地方での生活を変えた。欲しいものが必要なときに手に入る。便利な世の中だ。ただ、こういう「許可物」はさすがに通販ということにはならない。知り合いの紹介でようやく辿り着いた。ハンコを持ってきて、と言われた、さすが劇薬。石鹸づくりのレシピは複雑ではないが、熟成などに時間がかかったり、温度管理が大事なので段取りが重要になる。ヤギのミルクも濃縮してみよう。
今日は秋田市に独りで住んでいる母親のところに行った。庭木を伐採したいのだと言う。一本一本どうするかを確認して、テープで印をつけた。実際にはシルバー人材センターにお願いした。待ち行列があるようで、着手は今月の末くらいかな。シルバーと言えば、私の土地の雑草処理もお願いしている。この週末にも来られるようだ。ヤギのことを優先するため、庭の雑草や木のことは後回しにしてしまう。ここで一旦整理しよう。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
今日は薄曇りの穏やかな一日。昨日は慌ただしかったので、心穏やにのんびり過ごした。私は攻守でいうと、どちらかと言えば攻の性格であり、降りかかってくるものを次々にこなしていくことが好きだが、そこでこぼれ落ちてしまうものがあって、それを丁寧に拾うことが苦手だという悪う癖がある。今日はそれを拾う日に当てた。国勢調査票の配布に関わるデータを、記憶があるうちに整理しておこうと思った。闘うことを休んで足元にこぼれているものを拾う。大事なことだと思う。
ヤギのミルクを使ってマルセイユ石鹸を作ってみようと思う。勉強してみた。石鹸づくりには苛性ソーダが必要になる。薬局に行ってみよう。
ヤギバターの実験は静置して3日となってもかんばしい成果が見えないので「失敗」と判断。ミルクの濃縮方法など、貴重な経験も得たが、分離という目標に関しては3回目の実験も失敗だった。残るのは「強制分離法」、つまり遠心分離機を使う製法である。いよいよ手の届く価格のセパレーターを探してみようか。
メッコの飲み薬は規定の5日間飲ませた。フンの状態は良くなったが、食べる方は戻り切っていない。S先生と相談して、もう3日ほど投薬を延長することにした。結構長引いている。たぶん見た目では誰も分からないと思う。普通に元気そうに振る舞っている。だから病気の状態ではないかも知れない。ただ「健康」ではない。この微妙なところをよく見てあげるのが飼い主の役割なんだと思う。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
今日で9月も終わり。とうとう発情の気配は見えなかった。やだなあ。10月に入ってもなかなか分からないようだと焦ってくる。
今朝方、横浜時代の友人夫婦が訪ねてくれた。この夫婦はその後、移住して山梨に在住している。はるばる旅行がてら寄ってくれた。私たちの年代同士が集まると、必ず「健康」の話しになる。そんな話題に花を咲かせながら再会を喜んだ。今度はこちらから行く番だな。
健康診断があり、また、夜は楽しげな打合せ、という体の飲み会もあって慌ただしい日だった。
この夏を振り返ってみたい。
いろいろあったように思え、また、いつもどおりの夏であった気もする。個人的にはこの「ヤギ日記」を立ち上げたことはトピックかな。振り返りながら進んでいくことの大切さが分かりました。
ふたりとも血乳
オスの子ヤギの去勢手術
日照り続きの後に洪水
どうも分からない発情
メッコ、夏バテで体調を崩す
ヤギミルクの実験
ハエや蚊は少なかった サシバエはゼロ 虻は例年並み ヤブ蚊は少ない 暑かったせいかな
振り返って整理すると、こんなもんですかね。こうして項目に整理してみると、この夏に初めて、というのもそれなりにあるから、いつもの夏とはちょっと違っていたようである。人間は変化を好んで求めるときと昨日と同じ今日であることを望むときがある、いつもの夏とちょっと違っていたことが、この夏だけのものか、あるいはこの夏が変化の始まりなのか、は何年か経たないと分からない。どうあっても夏は夏だなと思える夏であって欲しい。
今日のヤギ時間:トータル4時間
女子ラグビーワールドカップの決勝が行われ、イングランドがカナダを下して優勝した。聖地・トゥイッケナムに8万の観客を集めての熱戦だった。やっぱりスクラムはラグビーの原点だな、そういうことをあらためて感じた一戦だった。私はバレーボールや卓球では女子の試合をよく観る。単発で終わってしまう男子に比べてラリーが続くので面白い。ラグビーにもそういう時代が来るのかも知れない。
ヤギミルクの半強制分離は静置して二日経ったが、期待した結果は出ていない。表面に浮かぶようにしてできた粘膜状のクリームを舐めてみると相当美味しい。が、この量ではいかんともしがたい。明日以降に分離が進むなら、それはやはり劣化の証に思える。それからバターができたとしても個人での利用ならともかく、レストランでお出しはできまい。ただ、このまま引き下がるのも癪である。自然分離と半強制分離が不首尾なら、残るのは強制分離である。この遠心分離による分離について、少し勉強してどうやれば現実のものになるか考えたい。どうやらミルクを分離させるためには10,000rpm以上の回転数が必要らしい。洗濯脱水機の10倍もするから凄いことである。やはりどうしても専用の機材が必要なんだろうか。私はこういう事態になると「そもそも」を考えてしまう悪い癖がある。そもそもバターの起源ってなんだろうか、ということである。遠心分離機も衛生法もない古代にバターは生まれている。今からすると随分乱暴な方法である。確実に、効率よく、衛生に食品を加工するためにさまざまな機械が開発された。10,000rpmなんてあの当時は考えもつかなかったろう。でも人はバターを作った、ならば、、、なんてことを思ってしまうのである。こうして蘊蓄ばかりになって一向に前に進まない。誠にごめんなさい。
だが、ここまで繰り返し実験したので、いろいろなことも分かった。この牧場のヤギミルクの品質に自信を持てたし、冷凍による濃縮方法やそれでも味わいなどにまったく遜色ないことが分かった。いずれもポジティブにとらえたい。前に行こう。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
メッコは少しずつだが回復を感じさせる。数週間かけて少しずつ下がってきたので、少しずつ上がってくるんだろうと思う。こうやって夏バテの後遺症のようなものは初めての経験だ。特定の症状がないのに体全体のバランスがとれないというケースである。本人が一番驚いているのではないだろうか。私も歳ねえ、と。
今日は水のことについて書きたい。地味だが、とても大事である。
私の牧場では井戸水を飲ませている。給水栓からチョロチョロ垂れ流しにし、それを20ℓほどのポリバケツに溜めて、溢れかえさせている。溢れた水は排水管で回収され、浄化槽を経由して八郎潟の残存湖に流れる。垂れ流しにしているので、いつも新鮮な流水を飲むことができる。ヤギたちは溜まったバケツからだけでなく、蛇口に口をあてて直に飲むことが多い。これで夏場の水の枯渇を防ぎ、厳冬期は凍結を予防できる。だから、いつも出しっ放しである。
ヤギは水を飲まない動物だと信じている方もいるが、そんなことはない。青草などから水分を摂取できるので飲水量は高くないかも知れないが、暑い夏などは体温を調整する必要もあって、吸い込むように大量の水を飲む。水を切らさないようにして欲しい。特に去勢したオスには結石を体内に溜め込まないためにも良く飲ませて欲しい。
飲料水の温度は乳量にもかなり関係してくる。地下水だから水温は15℃と年中一定であるが、電動ポンプと給水管を通る内、外気の影響で暖められたり、冷やされたりする。仮に真冬は10℃冷却されたとすると5℃になって垂れ流される。凍りつきはしないが、随分冷たい水である。ヤギは哺乳類の恒温動物だから15-28℃ほどの水温が好ましく、5℃の水では体温を維持するためにそれだけのエネルギーが必要になってくる。つまり、乳量やルーメンの働きに影響するので、だから、冬は温水を飲ませるのが望ましい。
実は私はしていない。温水を与えるための電気設備がないからであるが、そこまでこだわっていないと言うのが本音。これから秋が深まってくると気温がグッと下がり、ヤギたちは体に脂肪をまとって肥える。寒さには比較的強いので暖房などもなしで一冬を過ごす。そこ頃には乾乳もしている。水は流しっぱなしなので凍りつくことはないが、給水栓を断熱材で巻いているものの暖めはしない。ときどき雪なども舐めて過ごしている。
ヤギミルクの半強制分離の実験であるが、静置して丸一日経ったが、分離の兆候は感じない。表面にわずかな粘膜が認められるだけである。念のため、もうしばらく様子を見るが、ドラスティックな変化はなさそうだ。もし上手くいったとしても、今度は賞味期限、あるいは消費期限の問題が出そうである。ミルクを数日静置させて得た加工品の期限はどうなるのだろうか。余り気持ちのいいやり方ではないのかも知れないな。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
まずヤギミルクの半強制分離実験のログ。
9/20 3.1kgをQBテナーに入れて冷凍庫へ
9/21 2.05kgを同じテナーに追加して冷凍継続
9/24 16:30 完全な冷凍が確認されたので冷蔵庫に移して自然解凍開始
9/27 09:30 解凍を促すため鍋に水を張って、そこにQBテナーごと入れる
9/27 13:00 ほぼ解凍されたので静置用のガラス瓶に移し替え 1kgほどは解凍されずに氷状態で残ったので廃棄 その分濃縮されたミルクになった これを静置し、分離に期待する ミルクを試飲すると濃い牛乳のようでクセもなく美味しい
ガラス瓶に移し替えて揺さぶられたこともあり、夜21時現在では分離は見られない。明日以降どうかな?ヤギミルクの濃縮方法としてはかなり有効であることが分かった。
リンは相変わらず良くお乳を出してくれる。メッコのものはしばらくは薬の影響で使えないので、彼女頼みということになる。メッコはフンの状態は良くなったが、あの旺盛な食欲が戻ってこない。フンが安定し、食欲が戻れば、やがて乳量も上がってくると思う。胃や腸などの消化のバランスが崩れてしまったようだ。こうして体調を崩すと免疫力が下がるので、病気を引き起こす。少し時間がかかるかも知れないが、良くなって欲しい。
残暑の中にも秋めいてきて、栗が落ち始めた。今年も結構豊作のようだ。この栗を喜んで食べる。果皮ごとコリコリ音を立てて食べる。実にも皮にもタンニンがあるので苦いと思うが、それがいいらしい。庭には栗だけでなく、いちぢくや柿、ベリー、ザクロなといろいろな果樹がある。どれも好きなので収穫の都度、半分ほどもあげてしまう。それが分かって、栗などを拾い始めるとゾロゾロ寄ってくる。そうなるとついあげてしまう。完全に悪循環である。
ヤギの味覚は人間と違って苦みに魅力を感じるらしい。たとえば、これから枯葉の季節だが、この落ち葉を好んで食べる。パリパリ音を立てて、さながらポテトチップスのように食べる様は可愛い。枯葉にはタンニンが多く含まれるので、きっと苦い筈なんだが。熊手で掻き集めて枯葉をあげると平らげてくれる。庭の掃除屋である。
ヤギにも個体差がある。つまり、好き嫌いがある。総じて好きなものはみな、好きだが、好きなグループの端っこにあるものは、この子は好きで食べるが、あの子は振り向かない、ということがある。人間も味覚に関しては保守的で、大体5歳のときにどういうものを食べていたか、が大事らしい。ヤギの味覚っていつ頃決まるんだろう?
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
今、この町は稲刈りの真っ最中で、みなさん暗くなるまで頑張っておられる。こんなときに国勢調査票を片手に回っても誰もいない。結構、疲れる。
先日、ペットフード会社の指定容器が届かずに困っていることを書いた。ならばそれを逆手にとって石鹸やチーズなどの試作をしてみようと思っていることも書いた。その後、容器は届いたので発送を再開するが、少しペースダウンさせても良いので、試作してみようと言う気持ちは変わらない。石鹸やレンネットでのチーズづくりはそもそもヤギの飼い始めの頃からやってみたかった。本なども買って準備していたが、なかなか腰が上がらなかった。それが10年以上ぶりにまた盛り上がってきたということだ。あらためて本を開いて勉強している。あの頃とは時間や心の余裕がまるで違うが、今度はどうなるか。ジャンプするためにはいったんしゃがまないといけない。しゃがむゆとりができてきたということなんだろうか。
今日は除草の話しをしたい。
ヤギを飼ってみたいという方々の中に「ミルクをとるまではいかないが、除草はさせたい」という方が一定数居る。一定数というより過半数かも知れない。正確に言えば、①除草を目的にする方と、②近将来のミルク飼養の助走としての除草、そして③基本ペットだが、せっかくだから除草も、という3つのグループがある気がする。そこでヤギの除草力について率直に感想を述べたい。
結論から言うと「ヤギの除草力は相当なものであるが、その力を発揮できる環境であるかどうか、が課題」ということになる。
ヤギは、一日あたり3~4㎡の、重量で言うと5kgほどの草を食べると云われる。結構な量である。
ヤギを荒地に放すと、数ヶ月で風景は一変する。リードによる繋留飼いでも同様で、毎日、杭の位置をかえていけば、その範囲で除草が進んでいく。広い放牧地では、自分の好きなものを選んで食草するので、ややムラが生じる。狭いエリアを転々とさせた方が効果が高いようである。問題は、除草したい場所が、このようにヤギを自由に放せたり、繋留に支障のない環境であるか、ということだ。例えば、庭木や果樹、野菜などが植えられているエリアでは、そこの雑草だけを食べてくれる、という都合の良いことにはならない。繋留飼いでは、行動範囲の雑木や株などをきれいに整理しないとリードがからんで危険である。
私は、花木や果樹、野菜のある農園のエリアは、私自身で草取りしている。ヤギを放すと、食べては困るものまで(ものほど好んで)食べてしまうからである。ヤギの放牧地には、町所有の山野地を借用している。しかも、毎年のように牧草の種を蒔いている。つまり、ヤギに青草を食べさせるために、お金を払って土地を借り、牧草まで準備し、自分の土地の雑草は自分が刈っている、という本末転倒なことになっているのである。借りた土地の風景は確かに一変した。他の土地は荒れ放題なのでブッシュ状態だが、まったく違う。良く除草され、もっと放牧の広さが必要なほどである。除草に関してはこうして計算違いがあったが、私の目的はミルクなので、この程度は十分許容範囲のことと言える。裏山でヤギが牧草を食む風景はなかなか素敵である、とも思う。もし除草目的だったら、さぞがっかりしたことだろうな。
また、秋田という土地柄、晩秋から春先までは干し草頼みになる。青草を食べさせられる期間は、年で6ヶ月に至らない。
①の方は特に注意して欲しい。ヤギの除草効果は高いが、ヤギの生態にマッチングする土地や環境であることが条件になる。そうではない土地で、除草目的で飼うと裏切られた気分になってしまうかも知れない。耕作放棄地や林野地での放牧、特にノリ面が多い土地では絶大な味方になるだろう。
もうひとつ注意して欲しいことは、最近人気があるのはミニヤギという小柄なものであることだ。ミニヤギという種類はないので、シバやトカラの小型の系統を指しているのだが、体が小さいので食べられる草の量も多くはない。乳量も期待できない。ミニヤギを飼おうとされる方は、除草などは期待せず、あくまでもペットとしてお考えになるのが良いと思う。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
昨日までの青空が一転して朝からぐずついた天気である。ときにそぼそぼ、ときにはざんざん降る。夜半までこんな調子らしい。
メッコの診察で獣医のS先生にまたお越しいただいた。3週間前に診察いただいて一旦は回復したかに思えたが、この一週間、なんとなく元気がない。
症状としては、①食欲が振るわない ②軟便気味 ③ なんとなく溌剌ではない ④微熱があるかも知れない 基本、平熱 ⑤乳量が元気なときの1/3程度 というもので、日毎に少し下降気味に感じたので連絡した。抗生剤などの注射を3本打ち、今回は飲み薬も処方いただいた。随分暑い夏だったし、3匹の子育ての心労もあるだろう。牛飼いのFさんのお話では、牛は本当に暑い時期は耐え抜くそうだ。涼しくなって過ごしやすくなる頃が危ないという。疲れが出てきてバタバタ行くときがあるようだ。そういう事態はどうしても避けたい。
今日は獣医師とのおつきあいについて私見を述べたい。
まずはご縁について。獣医さんをどうやって見つけるんですか、という質問への回答にもなる。ヤギを飼い出した頃はかかりつけの方がおらず、家畜保健所づきの獣医の方に診察をお願いしていた。だが、気軽に相談という感じではなく、距離もあって来ていただくのが簡単ではなかった。あるときペット病院を開業したばかりのN先生に辿り着いた。動物園勤務のご経験があって、家畜獣も大丈夫ということだった。開業医なので、ヤギを連れて行かなければならない。その不便を見かねたのか、訪問獣医てある今のS先生をご紹介いただいた。以来、なにか気になることがあるとS先生に相談している。S先生の専門は豚であり、範囲は内科になるが、頼りにしている。外科の処置が必要なときは、このS先生を経由してO先生に訪問いただく。牛に詳しい獣医さんである。牛もヤギも胃を4つ持つ反芻獣であり、その生理が、つまり病理もよく似ている。
こうして普段はS先生(訪問)、外科処置の時はO先生(訪問)、もっともおおがかりな治療のときはN先生(外来)という贅沢な布陣で臨んでいる。
次に、なにを判断基準にして獣医さんを呼ぶのか、あるいは呼ばずに様子見にとどめるのか、についてお話ししたい。結論から言うと人様に開示できるような判断基準は「ない」。敢えていえば「勘」のようなものであり、そのベースに「日常の観察」がある。このふたつに尽きるのではないかと思う。あれっ、なんか様子がおかしいな、と引っかかるものがある、その引っかかりの程度で連絡するか、様子見にするかを(感覚的に)判断している。そのためには自分のヤギについては、その飼い主が誰よりも良く知っていなければならない。動物は物が言えない。我慢強いと言われるが、簡単に弱味を見せると襲われてしまうという防衛本能がある。本当は大丈夫なんかじゃないのかも知れない。そのことを誰よりも良く知っている筈なのが飼い主である。重篤化したり、手遅れになるよりは心配性と言われる方がまだ良い。そういうことだと思う。
よく食べて、健全なウンチをしていれば、まずまず心配はない。これが崩れて、しかも熱っぽかったり、だるそうなときは診てもらった方が良いと思う。症状が進んで悪化してから診てもらうのは避けたい。なるべく初期症状のときに早期に治療してもらうことである。今回のメッコのことは、他に目立った症状はないが、食欲とフンが正常でない。良く入らず、良く出ていかないのだから消化機能などになんらかの異常が発生している。さらに数日間、様子を見て下降傾向に思えた。変な症状が出てくる前に早めに診てもらおうということである。
こういう判断では獣医さんを頻繁に呼ぶことになり、治療費などがかさんでしまうと思われるかも知れないが、そんなことはない。
獣医さんに頼るのは、ほとんどが病変以外、例えば除角のときに全身麻酔してもらつたり、去勢のオペをらお願いしたり。年に数回である。今回のように病変で再診までお願いしたのはヤギを飼って初めてのことである。
私は病気を起こさない飼い方に注力している。ヤギの健康管理とは、すなわち衛生・栄養・運動管理のことである。その上で異変を感じたときは速やかに獣医さんなど専門家にエスカレーションする。決して素人判断はしまいと自制している。
普通は注射の薬は良く効く。朝打ったのだから、夕時の食事は期待したが、やはり半分残した。少し気にかける日が続きそうである。早い回復を祈るばかりだ。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
今日は隣県の岩手・江刺からはるばる人工授精を勉強にこられたご夫婦がいた。非礼な言い方になるが、在のご年配者の方だった。しかし、こういう御仁はなかなかいない。尊意を感じる不思議な出会いだった。今は羊を10匹とメス山羊を1匹飼っているが、ご近所にも何頭かいるので、人工授精での繁殖を試みて優秀な個体を後代に残したいとのことであった。最近まで豚や牛がいて、人工授精の様子は間近に見ていたらしい。そういうご経験があるので話がスイスイ通って気持ち良い。こうして志を持つことは素晴らしいと思う。歓待し、3時間ほども座学と実習を行った。繁殖の生理まで理解しようとなるとさらに何日かかかるだろうが、下地のある方に人工授精のメソドだけなら十分な時間だと思う。
牧場を案内したところ、ヤギたちの体躯を見て感動していた。これだけではるばるやってきた甲斐があった、と嬉しいコメントをいただいた。ひとしきり話しの中で、血統のことにも触れたが、この方、鳩も飼っているようで、鳩の世界ではインブリードが好んで行われるとのことだった。兄弟同士はさすがに避けるが、隔世間のものは結構行われるらしい。
さて近交係数について語ろう。
近交係数とは、近親交配係数のことで、そのオスとメスの組み合わせの近親交配の度合いを表す。私が学んできたものでは、1/20以下に抑えてアウトブリードしなさい、というものである。祖先を永代に遡らないと0にはならない。どんどん遡っていくとどこかで共通する祖先が居るものらしい。だから、0でなければいけないというものでも、また現実的に0にできるものでもないようだ。ヤギの場合は血統書に父方の祖父母と母方の祖父母まで記録されている。オスの血統書とメスの血統書を突合して、ここに共通する名号がなければ1/20以下である。私はそうやって種の選定を行なっている。
近交係数は気にしないと言われる方、つまり近親交配を厭わないという方は案外多くいらっしゃるが、私は大事だと思う。産まれてくる子ヤギの丈夫さが違う気がするからである。SNSなどを含めて、全国にヤギ飼い仲間がいるが、いろいろ入ってくる情報を広げるとどうもヤギそのものが弱いのではないかと思えてくるものが少なからずある。なぜ、そんなに簡単に、頻繁に病気になったり、命を落としたりしてしまうのか、分からない。飼い方が悪い?それもあるかも知れないが、そもそも生命力の弱いものが増えている気がする。飼養頭数の減少は、地方のヤギ集団の孤立化を招き、その小さな集団の中での繁殖を繰り返して、近親交配を進めた。もっとも顕著な徴しが体躯の矮小化である。私の牧場に来られる方は異口同音にヤギたちの体躯に驚かれる。ヤギとは本来こういうサイズです。なるほど他の牧場にうかがうと貧相(失礼!)に感じる。骨組みが弱く、乳量も期待できず、病気がちなんたろうなと想う。
こんな生意気な口は本当にききたくないが、また、遺伝学に詳しいわけでもないが「血統」は大事です。良い血統のヤギを良く育ててください、と叫びたいのである。
今日はヤギ時間:トータル6時間30分
・
追記 先日、血統3にて、サラブレッドのインブリードのことを書いた。例として4×5の表示をあげたが、これは父方の曽祖父と母方の曹曽祖父、若しくは父方の曽祖母と母方の曽曽祖母に同じ個体がいるという意味である。つまりはサラブレッドの血統管理の緻密さを表すものだと思う。きちんとした家系図でも残っていない限り、私たち人間界でも遡れるのは、せいぜい2代前までであり、それより古いことは噂で聞くレベルになる。それを4代・5代と遡られるのは凄いと言わざるを得ない。この4×5はサラブレッドの血統上はインブリードとして遺されるのであるが、近交係数を計算すると1/20以下であり、立派にアウトブリードである。こうなるとインブリードとアウトブリードを対比的に論ずること自体不毛であることが分かる。
シバヤギは日本在来のヤギだが、長崎の一部で肉用として飼育されてきた過程で、近親に極強い種になり、近交劣化がおきないという説がある。近親交配の長い歴史の中で悪い遺伝子をもった個体はすべて淘汰され、残っているものは耐性もあるものだけだということである。もっともそれはシバの純種に言えることであり、今日、シバと言っても交雑種しかいないだろうから真偽は分からない。
類や目、あるいは種、品種により差も大きいかも知れない。植物や昆虫にはそれが日常的なものもあるようだ。だから、鳩とヤギを同列で扱って良いかどうから分からない。これ以上は遺伝学の専門知識が必要ですね。
ただヤギの場合、一部の愛好家は血統管理しており、それは血統の価値化が目的ではなく、子々孫々に健康なヤギを残すためであり、そのためにアウトブリードに配慮しているという事実がある。極めて健全な考えであると思えるのである。
今日も日長、晴天だった。私はと言えば、国勢調査員の仕事にはまっており、まあ、店とヤギの合間をぬってなのだが、地図と調査票を片手に歩き回っている。そんなこともあって、最近はルーチンだけのヤギ世話であるが、それなりにみな快適に過ごしている。
一昨日のお団子ウンチは解消した。メッコの食欲と乳量が戻ってこないことが気になっている。ショショボショボ弱っているわけでもなく、溌剌というほどではないが元気ではある。だからこそ、気になるとも言えるが。
今日はヤギバターのMさんに3回目の実験のミルクをお渡しした。QBテナーに入れた3.9kgの冷凍ミルクで、一昨日搾ったものだ。何故一昨日のものかと言うと、これだけの容量になると冷凍に2日かかるためである。形状が正立法だし、ダンボールの箱に包んでいるのでなおさらゆっくり冷凍される。今回の実験は、別のQBテナーで私も並行してやってみる。これまでは自然静置だったが、今回のものは冷凍解凍により分子の遊離を狙っている。半強制型と言える。そこに劣化要素は余りないので興味がある。
料理のソースなどを濃縮させる方法で似たやり方がある。ソースを加熱して水分を蒸発させると加熱による味わいの変化が顕著にでる場合がある。例えばトマトをミキシングしたとしよう。トマトのフレッシュさを出したいときは「冷凍」する。冷凍と言っても全部をカチカチに凍らせるわけではない。トマトの果汁をボウルにとり、冷凍庫に入れる。しばらくするとこの果汁の内、水分だけが表面や淵に凍りつく。果汁そのものはまだ凍ってはいない。この氷をスプーンなどで取り除く。こうして濃縮させるのだが、要するに水分と果汁の凝固点(凍りつく温度)の違いを利用している半強制分離である。濃縮した果汁にエキストラヴァージンオリーブオイルとレモン汁をかけて乳化させ、塩胡椒で味を整えると美味しいソースになる。
そもそも私とMさんがやっていることは極めてイレギュラーであって、ミルクから生クリームをつくるのは遠心分離法が相場である。遠心分離をかけると脂肪球は軽いのでミルク本体から離れてしまう。これが生クリームであり、これを撹拌してバターにする。これが正攻法である。しかしこの方法だと機械が要る。遠心分離機である。しかもヤギなミルクの脂肪球は牛乳の1/6なので並の分離機では無理らしい。そこで機械を前提としない分離方法をあれこれ試しているわけだ。金がないなら知恵を出せ。知恵がなければ汗をかけ!
今日のヤギ時間:トータル4時間
雲ひとつない秋晴れとはこのことだろう、そんな日中であった。ヤギたちものんびりムード。昼と夜の寒暖差がかなりあるのて体調管理には気を使う。昨日のお団子ウンチも腹冷えによるものかも知れない。
今日は国勢調査の準備に勤しんだ。実は昨日の夕方、数軒まわっただけで断念した。これは段取り八部の世界だなと気づいたので、その八部を行った。明日から再開しよう。
さて、学生がヤギを飼うことについて考えたい。
小学校でヤギを飼う輪が広がっている。ゲーム時代の子どもに現実社会の手触りを教えたり、いわゆる情操教育のためにヤギは最高の教材らしい。私も近所の小学校長にかけ合ったことがあるが、担当の教員が名乗り出るかどうかという問題などがあり、現実的にはなかなか難しい。ヤギ側から働きかけるのではなく、その気のある小学校からのアクセスを待つしかないのだろうか。
Uさんは大学生だが、「ヤギを飼う」ことは今のところUさん個人の域を出ておらず、大学そのものの腰は重そうである。小学生でも大学生でもそれを取り巻いているのは現役世代の(常識ある)大人たちであるが、ヤギなどの命に囲まれて幼少期を過ごした方は少ないだろう。ヤギを飼う、すなわち命を預かることを必要以上に重たく感じてほしくはないのだが。人間が人間以外を排除した社会にだけ身を置いて、触れ合うのはせいぜい金魚や犬や猫だけ。「命や死」に向き合うことのないまま、成長し老いていくことは人間が若いうちに学ばなければならない最も大事なことを放棄することではないかという気がする。
だから、Uさんには頑張ってほしい。
学生がヤギを飼えば、人間とヤギとの関係に一石が投じられる、これは確かに言えると思う。しがらみがなくて自由だからである。乳や肉や毛皮といつた産業に縛られない視点でヤギを見ることができる。例えば、空を飛びたい、と言ったり。そういう発想が、やがては新しい需要を築き、新しいヤギの可能性を広げていくんだろうと思う。
いかにして仲間を広げていけるか。学生だけでなく、大学の事務局や教授までを巻き込んで仲間にしていけるか、が鍵ですね。もし「大学側と話しはついたので、チームに講話しに来てください」というような依頼が来たら、どんなに嬉しいだろう、と夢想するのであった。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
今朝、いつものようにヤギの世話をしに行ったら、小屋の真ん中に団子状になったフンが落ちている。軟便にはいくつかの段階がある。正常なフンは大豆状のものが、パラパラに50個ほどにばらけて地べたに転がる。これが少し緩むとばらけないで地べたにドスンと団子状の一塊りで落ちる(第一段階)。ばらけないが粒々ではある。これがもっと緩むと粒々がなくなり、こし餡状態になる(第二段階)さらに緩むとベタベタになり、色が暗緑色や茶色っぽくなる(第三段階)こうなると病変のサインと思った方が良い。もっと酷くなると水便になる(第四段階)。また、急性なものと慢性のものがある。私の牧場のヤギたちは軟便を起こしたとしても第一段階までで踏みとどまる。稀に第二段階に進むことはあるが、病変を感じさせるまでに至ったことはない。今回も第一段階である。
こうした軟便を見つけたときは、まず誰のものかを特定する。次にフンをするまで待つのである。尻尾の汚れ具合などから類推もすることもあるが、フンの現場を押さえることが一番間違いない。特定できたら、そのヤギの元気具合などを入念に観察し、なにを食べたか思い出す。このようにして対処方法を考えるのである。
ところが週末などで店が忙しいときはそういう時間がない。今朝もそうだった。国勢調査の仕事もあってますます時間がない。第一段階ではあるが、心しておこう。
私はペットフード会社にヤギミルクを卸しているが、毎年用途が変わる。昨年はパウダーへの加工が主であったが、今年はそのまま150mlのPEボトルに入れてお出ししている。
その容器はこの会社から支給いただく指定品を使う。なくなりそうになるとこちらから連絡して充当してもらうのだが、これがなかなか上手くいかない。つまり、お願いしてもなかなか届かないのである。届かないと在庫がなくなる。容器の在庫がないと当然発送できない。ただ、ヤギのミルクは毎日搾っているから滞留が起こる。困ったもんだ。こうしてブランクが生じたときはご近所さんにお分けしたり、サクラネコの会にカンパしたりする。それを待ち望んでいる方にはウェルカムなことだろう。
今回もそういう事態となり、そうであればと開き直って、ヤギミルク商品の試作もやってみることにした。レンネットを使った本格的なチーズ、ヤギバターのMさんと連携した生クリームづくり、石鹸づくりなど。こうしてみるとまだまだ研究の余地がたくさんある。まあ、余り気張らず楽しみながらやってみよう。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
今日は朝から雨だった。明日の朝までには止む予報だが、暗くなってから風も出てきた。この風は雨がやんでも残るらしい。私は今年の国勢調査の調査員を引き受けている。ネット回答が今日から解禁するので、今日から回ってください、と指示されていた。昨晩遅くまでその準備をしたが、出鼻をくじかれた。田舎の屋屋は一軒一軒が離れている。こんな雨の日に調査票片手にトボトボ濡れながら歩くのは御免こうむりたい。明日から?明日には明日の風が吹く、だね。
空飛ぶヤギの続編です。
Uさんはいよいよヤギを飼う方向に動き出したようだ。Uさん、あれから県内のヤギ飼いさんをあちらこちら尋ねている。そこでヤギと飼い主の関係が実に様々であることに気づいた。そして、これ以上、ヤギを知ろうと思うんだったら、自分が飼うしかないと開眼したのである。辿り着いたね、いいことだ。
私は乳用としてヤギを飼っているから、ミルクをとりたい方は私のところに来てヤギを求めれば良い。Uさんは空を飛びたい。だから、空を飛ぶためにヤギを飼っている人からヤギを譲って貰えば良い。だがそんな人はいない。それなら自分でヤギを育てることである。そういう結論に達したようだ。
Uさんは学生であり、来春には卒業して秋田を離れて大学院に進む予定である。そんなUさんがヤギを飼うとなるとクリアしなければならないことがある。ひとつは仲間をつくること。もうひとつはヤギをその仲間とともに飼う環境をつくることである、一番好ましいのは、大学のキャンパスで飼育できるようになることである。今、大学側と交渉中のようだが、これができれば大きな一歩になる。
さて、それがかなったとして難関はまだある。まずはどこからどういうヤギを連れてくるか、ヤギを飼い始めるのに向いた時期ではない。ヤギ小屋などの環境づくり、飼育技術の習得、獣医探し、干し草など餌の確保などなど。
いずれにせよ、場が確保できて、仲間がいれば、どうにかなる。Uさんは気づいた。こうして「自力で気づける人」はなかなかいない。「気づいたことを行動に移して実現できる人」はもっといない。しかも、他者を巻き込んでいかないとならない。早くいくならひとりで行け。遠くに行くならみんなで行け。これはつまりそういうことである。頑張れ!
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
残暑が厳しいが、日が落ちるとうら寒くなるような季節になった。日中の作業ではさすがに額に汗が浮かぶが、今日の夜はヤギ小屋の窓を閉め切ることにした。風が冷た過ぎて、風邪をひかせてはいけない。
残暑、残暑と言いながら秋田は良い季節です。
ヤギたちの発情は相変わらず分からない。もう9月も終盤に入るので、そろそろ頼むよ、という気分である。リンがいつもより鳴くことが多かった。ちょっとした変化だがメモしておこう。
ヤギバターのMさん、2回目の実験も失敗だったようだ。殺菌方法を変えても、クリームとホエーに分離しないと言う。なぜなんだろう。先日も述べたとおり、やることはシンプル、レシピもシンプル。間違えようがないものが上手くいかないと、こういうシンプルなものが一番厄介だ。ノンホモとはなにか、ひとつひとつを振り返ってみる。消去法として残るのはヤギそのもの。ヤギの育て方のためにこうやって分離しないミルクになるのではないだろうか。そもそも分離とはなにか。分離することが本当に良いことなのか、ひとつひとつを考える。
言い訳に聞こえそうだが、私には簡単に「分離」するヤギミルクは雑なものという感覚がどうしてもある。ビロードのようにきめ細かくて滑らかなものが良いミルクだと思っている。だから半分はいぶかしんでいるが、半分得心である。例えば、味噌やマヨネーズを思い浮かべて欲しい。痛み始めると水と固形物に自然分離する。分離とは劣化過程にあり、簡単に分離するものは怪しいと思うのである。ノンホモの牛乳(なかなか市販されていないが)でも分離が起こってくるのは賞味期限が切れそうなギリギリである。
私は牧場のヤギミルクをペットフード会社に卸しているが、その場合ほとんどは冷凍してお出しする。消費期限のためである。このとき「いかに分離させないか」に注力する。ミルクが分離すると風味が損なわれ舌触りも悪くなるからである。冷凍ミルクの分離は、タンパク質や脂肪と乳清の凝固点(凍りつく温度)が違いが原因である。大量のミルクをゆっくり凍らせると分離する。今回は「分離させたい」のだから、この方法を逆手にとればできる筈である。つまりはわざと「雑」にするわけだ。ただ、この無理矢理雑を演じた自然分離で果たして美味しいものができるかどうかはやってみないと分からない。冷解凍に伴う分子の遊離だから鮮度を落とした劣化ではないところは安心できる。いずれ次は冷凍解凍だ。
来週の初めに5リットルのQBテナーで「ゆっくり」冷凍したヤギミルクを渡し、これを冷蔵庫で数日かけて、「ゆっくり」解凍する。分離を冗長する「ゆっくり」だ。さらに縦長のガラス瓶に入れ替えて、一日以上静置する。これが次のプランである。
私はMさんのバターというより、その過程で精製される生クリームに興味がある。料理のレパートリーが格段に広がり、ヤギが活躍する場にもなる。
冷凍方式でもダメなら自然分離は諦めだな。遠心分離などで食品の成分の性質を利用しての強制分離に挑戦することになるだろう。本来こちらの方が食品加工としては王道で望ましいと思う。問題は実現方法。ヤギミルクに合った遠心分離機など、高価でとても手が出ない。いよいよ自転車にくくりつけてロードレースなのかも知れない。
今日のヤギ時間:トータル3時間
Mワイナリーのオスちゃんは大丈夫だった。食欲も戻って、モリモリ食べているらしい。青森のキャンプ場の子も回復したようだ。結局、獣医さんを呼んで注射を打ったらしい。病名は聞いていないようだが、いずれ良くなってなによりだ。雪が降る前に会いに行ってみるか。
血統の話しの続きである。
ヤギの場合、血統の登録が進まず、倫理も打ち立てられていない状態、つまり野放し、であること。一方、イヌネコでは登録は進んでいるが、倫理が破綻しているのではないかと述べた。私が小さい頃は雑種ばかりが目立っていたから、純血のイヌやネコがこうして普通になったのは高度成長のお陰だろう。倫理を打ち立てる前に「純血」をありがたがって、それを証明する登録という制度だけがどんどん進んでしまったというのが本当のところかも知れない。私たち日本人はこういう制度を海外から持ち込むが、その深いところにある哲学めいたことは私たち自身が打ち立てないといけない。それをないがしろにしてしまうのは、日本人の弱点という人も居るが、私はそうは思わない。ただ、制度を足早に導入することに忙し過ぎたのは事実てあり、そろそろ根っこをはやさないといけない。
こう視点からみるとMIX犬の人気は面白い。交雑だから彼らに血統書はない。飼い主はきっとそんなものはいらないと思っていることだろう。純血至上主義への反動。健全な考えだと思う。雑種一代(h1)は両親の良い特質を受け継ぐので、健康な子が比較的多い(雑種強勢)。ただ、h2に進んでいくとそうではなくなる。MIX犬が急速に雑種になる。野菜のF1と一緒である。つまり、MIX犬から新しい品種が安易に生まれることはない。遺伝の妙というものである。
イヌネコは(ペット)産業として「お金」を生んだという背景がある。そこに人間の欲望が渦巻いて、血統書の意義や価値を自己否定してしまった。軌を一にして、ヤギは衰退した。産業としてお金にならなかったので、私たち人間が見離したのである。イヌネコと逆である。細々と生き残って今に至る。だから、ヤギの世界では人間の欲望を余り感じない。そこに私は一縷の望みを見出す。
私は真剣にヤギ飼養に取り組む方を普及指導員に任命する制度が良いと思う。全国で数えるほどしかいないレベルの高さで良いと思う。その普及指導員が血統の登録と倫理の定着などの牽引役になるのである。血統書など、動物の個体に帰属する制度は否定しない。だが、その制度を運用するのは人間である。その制度を崩してしまうのも人間である。だから、人間に帰属させる認証があって良いと思う。この任命などを公的機関で行うことは難しいだろう。NPOなど民間事業体てやれば良い。ヤギ認定試験なども行う。普及指導員は、この上級の合格者であり、飼養実績や作文、面談などを経て任命される。人物本位が望ましい。普及指導員間のネットワークづくりがやがてできて、素敵な世界が待っているのではないか。
今日のヤギ時間:5時間
Mワイナリーに行った仔ヤギのオスの方が放牧中に誤って毒草を食べたらしい。
ゲーゲー戻して、ぐったりしているようだ。毒草には余り対処療法はなく、スポーツドリンクを飲ませて血中の毒を薄める程度しかできない。獣医さんを呼んで胃の洗浄をすれば良いが、かかりつけの獣医をまだみつけていないという。私からS先生にお願いするとしても、夕方で手配できる時間ではない。症状を聞くと重篤というレベルではないので、一晩様子を見てみることにした。
昨年、里子に出した青森のキャンプ場の支配人からも電話があった。オスの一匹が元気がないので、獣医さんに診てもらったら「熱中症になりかけ」と言われ、治療を受けた。それからしばらく経っても回復しないので、気になって電話をしたとのこと。歩いて腰がフラフラするらしい。いろいろ問診すると、これは腰麻痺ではないか、と思えた。もう一度、獣医さんを呼んで秋田の牧場主がそう言っていると伝えて、再診してもらうように奨めた。予防できる病気だが、ここまで来たら獣医さんに注射をお願いすることになるだろう。
どちらも命にかかわる病気であり、事故である。大事に至らないよう祈るばかりである。
さて、近交係数のことだが。
近交係数とは、正しくは近親交配係数のことである。その近交係数を語ってみようと思ったのであるが、今回の主題が「血統と繁殖」ということであれば、血統書と近交係数と倫理の3つをセットにしなければならない。いきなり近交係数を切り出すのは唐突過ぎる。まず今日のところは「血統書」のことを述べたい。
血統書と言えば、一般的にはイヌネコであり、有名なものではサラブレッドということになるだろう。ヤギに関しては「えっ、ヤギにも血統書つてあるの?」という認識だと思う。いたってマイナーである。血統書は、その個体の純種性を証明し、その品種の特質(品種ごとの標準的形質)を守るための繁殖利用や振興会、ショーなどへの参加資格の証明のために用いられることを目的にしている。義務ではない。義務でないので、登録する側になにかのメリットがあるか、逆に登録しないとなにかの不利益が生じることがない限り進まない。ヤギの話に戻ればヤギにも血統書はある。ただ、日本で登録できるのはザーネン種だけであり、登録率も高くないのでまだまだ一般的とは言えない。メリットも不利益もないので、登録しようというモチベーションが湧いて来ないだろう。
ただ、この血統書は繁殖の際は、非常に重要なものとなる。オスとメスとの血筋が分かるからである。
ヤギの血統書の場合、二代前からの血統が分かる。イヌネコ、牛では三代、サラブレッドになると五代前に遡ることができる。さらにはインブリードの場合は注記されるのだから、より細かい管理がされている、と言える。また、登録率も非常に高いのである。こうした「血統の管理」という視点からはヤギは後代であり、その登録率を見ても「管理」と言うに値するかどうか疑問がある。まずはヤギも血統を登録することが常識的である状態をつくらないといけないだろう。ヤギの場合、ほとんどの種つけは互いの血統を知らない中で進められている。インブリードとか、アウトブリードとかを論ずる以前の問題であり、私は日本でヤギの復権が為されるとしたら、血統の管理はそのための最低条件のひとつだと思っている。
悲観的なことばかり述べたが、健全になり得る可能性もある。
イヌネコのように血統の登録が進んでいる世界において、にも関わらず、故意と思える近親が起こっているのは、要するに人間の倫理が破綻しているからである。目先の収益に振り回されているのは一部のブリーダーなんだろうが、血統を「管理(把握)」できても「正しく運用できていない」のである。ある意味、最悪だ。ヤギの場合の健全性とは、つまり血統の「管理」を行う道筋で「正しい運用を定着させる」ことができる可能性が残っているという意味である。では、正しい運用を定着させるにはどうしたら良いか、言い換えれば、人は高尚な倫理観を失わないことができるのか、という命題にもなる。「人」に注目するしかなかろう。
今日のヤギ時間:4時間
稲刈りが始まった。黄金色に染まった田んぼはいつもの年と同じように見えるがどうなんだろう。米の価格高騰が日本中のトピックになっている最中での稲刈りだから、その出来高に一喜一憂することになりそうだ。
気象異常は米や野菜の生産に直結するので、その価格が乱高下する。振り回されるのはいつも農家なのだが、いつまでこういうことを繰り返すんだろうという思いがある。農産物と工業製品とでは、生産のプロセスがまったく違うのに、価格回収の仕組みはひとつである。農産物の販売を消費者が100%負担しているというこの構造を変えない限り、改善されない。それを決めたのは私たちであり、変えていくのも私たち、変えられないのも私たち。いつだって政治家のせいにするが、結局は私たち国民の選択の問題なんだろうなと思う。大きな民主国家の舵取りの問題である。
抜本的には地方の生き残りの問題になる。米の価格安定は脆弱な供給力のもとでは望めない。今、田んぼに立っている方の年齢を見て欲しい。この国の農業は早晩たちいかなくなる。もう遅いのか、まだ間に合うのか、なにもしていないに等しいような現状を見るとそういう杞憂が虚しく感じられもするが。
さて、インブリードのことに触れたい。
近親交配では、遺伝子の配列が似ているため悪質な劣勢の遺伝が重なり合うリスクがあるが、一方、人間に好ましい良質の劣勢遺伝が重なる可能性もある。確率論で言えば、前者が圧倒的に高い。ただ、品種改良とは、種の特質を人為的に操作することに他ならない。人間にとって好ましい形質を持った個体同士をかけあわせ、その形質を固定化させるわけであり、家畜改良や育種もそのひとつと言える。それが良識の範囲なら「家畜改良」になり、過度に行き過ぎると「近親交配」と言われる。その分界点はどこにあるのだろうか。
例えばサラブレッド。駿馬の能力を固定する目的で意識的に近親交配を行うことがある。血統表において近親交配となる馬を表すときには、数字を用いて4×5のような表記を用いる。公に評価されている方式で、強烈な能力を持った馬の誕生を期待して、実績を残した種牡馬の濃い近親交配に挑む生産者もいる。その陰の日の浴びないところでは、奇形や脆弱な仔馬が自然、あるいは人為的に淘汰されている。例えば、黒毛和牛。さしの良く入る資質を持った極少数の種オスにより遺伝子の寡占化が進む。例えばイヌやネコ。純血種の特質を維持していくために純血同士の近親が進む。また、生産効率の向上や小型化などを目論む一部の生産者により、近親交配を意図的かつ過剰に発生させるケースが相次いでいる。この結果として奇形や感覚障害といった先天的な問題を抱えるペットが少なからず産まれている。例えば、キャバリア・スパニエル。短命な犬種である。心臓病に罹りやすいのは、純種間での近親交配で負の遺伝子が連鎖しているからだと言う。いずれにせよ、増帽弁閉鎖不全性に苦しむキャバリアに罪はないのである。
私は、これらの事例の底辺に、人間の果てない強欲が脈打っていることを感じる。金や名声。危惧されるのは、こういう事実が殆ど知られていないことである。私たちの目の触れないところで日常的に起っている。家畜の屠殺のように、ゴミの処分のように。まずは知る、ことから始めないといけない。目をそむけてはいけない。その上でなんらかの制度的な規制が必要だと考えている。
ただ、近親交配は品種改良や品種の標準形質維持の重要な手段でもあるため、アウトブリードが正しくて、インブリードを廃絶すべきだという単純な選択にはならない。適切と過度の境界線をどうやって定め、どうやって護るかという論点になる。
血統とはなんのためにあり、誰のために守っていくべきものなのだろう。このことを考えるために次回は近交係数について語ってみたい。
今日のヤギ時間:3時間30分
今日はヤギバターのMさんに実験用のミルクを渡す日だった。1.3リットルを2本。今回は殺菌せず、そのまま渡す。殺菌はMさん自らやるという。75℃30秒と40℃12時間のふたつのパターンを考えているようだ。無殺菌なので、搾乳してから間髪置かずに渡したい。食品の雑菌は10-60℃の温度帯で増える。30-40℃では特に顕著となる。だから、間髪は置かないが、きちんと冷却してからお渡しする。さて、どうなるか。一週間以内には第二弾の実験結果が出るだろう。楽しみだなあ。
随分日が短くなった。秋田市にひとりで暮らす93になる母を訪ね、町に戻ると6時を過ぎたばかりなのにもう薄暗い。これからどんどん日が短くなる。それでも暑熱が和らいで仕事はし易くなった。束の間の過ごしやすい季節がやってきた。
さて、昨日に続いて血統の話しをしよう。
近縁同士から産まれた子どもは遺伝子の配列が似ているため、劣勢の遺伝が重なってしまい、産まれつき脆弱な体質になってしまう恐れがあることは一般的に知られている。近親交配のリスクである。SNSのヤギ仲間の投稿などをみて感じるのは、この近親交配が随分進んでしまっていて、産まれつき弱いヤギがたくさんいるのではないかいうことである。こういうヤギはもともと弱いのだから、どのように大事に育てても限界がある。病気になったり、最悪のケースを迎えたりする。そうとしか思えない投稿もかなり目にする。
私は血統の離れたヤギ同士での繁殖を心がけている。そのお陰で私の牧場のヤギは丈夫な健康体ばかりである。骨格がしっかりしていて体も大きい。氏より育ちと言い、誠にそのとおりなのだが、氏も大事だ。私が人工授精て繁殖を行う大きな理由のひとつが近親の回避である。ある地域のことを想像してみよう。その地域ではオスヤギを飼っている方がひとりいて、そのあたりのメスヤギはみな、この方の世話になっている。初めはいい。そのメスから産まれたメスの婿さんはどうするのか。近親を避けるため、隣の地域のオスに連れて行く。ではまたそのメスから産まれたメスの婿さんはどうするのか。隣の隣の地域に行くのか。ではまたまた、、、、、やがて近親交配が起こり、その地域のヤギの遺伝子は特定のものに偏っていく。そして、矮小化や奇形化、脆弱化が顕著になる。これが実態なのではなかろうか。
子ヤギを探している方は血統を良く見てから迎え入れて欲しいと思う。ヤギの血統証明は純血であることを証明し、高価値で取り引きされるために存在するわけではない。将来の乳量を保証するためのものでもない。インブリードを防ぎ、健全なヤギたちを後代に残していくためのものだと私は思う。
リンやメッコの乳量が凄いので、資質のあるヤギを選抜して、自牧場に残しているんだろうと思われるかもしれないが、そんなことはない。私には子ヤギの鑑定眼は残念ながらない。なにかの縁で残しているだけである。血統をよく見て、丈夫な子ヤギを大事に育てることを基本にしている。丈夫でさえあれば、スーパーヤギである必要はないと思っている。現にメッコは数年前は並みの乳量だった。去年あたりから化け出した。気の短い飼い主だったら淘汰していたかも知れない。今はスーパー母ちゃんになつてくれたが、言わば「メッコの恩返し」なのである。
一方、インブリードに進む世界もある。イヌやサラブレッド、黒毛和牛などてある。そこには人間の欲望が渦巻いている。続く。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
メッコがルナに擦り寄っている。この牧場では黒ヤギのルナが最上位に居る。毎朝のように頭突きなどで、小突きあって自分の順位を確かめるのが日課である。通常、下位のヤギが上位のものにこのように擦り寄ることはないから、発情の兆候なのかも知れない。ただ、断定できるものでもない。こういうときは「記録」する。?マークつき。3週間経って、次の周期でいつもと違う振る舞いがあれば怪しい。だが、最初の頃はそのように周期的に訪れることは稀。波のように寄せて返す運動性はあるが、気まぐれで不規則なことが多い。行動内容もさまざまだし、個体差もある。やがて誰の目にも発情と分かるサインを出すが、そうなってから慌てて人工授精の準備をしても遅い。いかにして早く、いかにして正確に発情を知るか、なのである。見逃すまいとすると振り回される。ボーッとしてると見逃してしまう。誠に厄介な季節がやってきた。
それでも、そろそろ進めていこう。まずやることは、どのメスにどのオスの精子をつけるか決めることだ。メスは私の牧場の子たち、オスは家畜改良センタ長野支場にいる種オスたちである。どういう種オスがいるかはウェブサイトのカタログで分かる。このオスたちの血統をみて、かつ、私の牧場のメスたちの血統もみて、父系・母系の祖父母までを突合し、同じヤギがいないかどうか、チェックする、同じものがいなければ「近交係数」5%以下だ、要するに遠縁なので掛け合わせて問題ない、ということである。
ヤギの繁殖はアウトブリードであるべきだと考えている。アウトブリードとは、近親交配しないということ。逆がインブリード、近親交配のことである。なぜアウトブリードかというと、奇形や感覚障害を引き起こすことは避けるべきだと思うからである。だが、敢えてインブリードを行う世界もある。血統というものについて、次から連載して考えて行きたい。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
朝落ちていた小雨が昼頃から本降りになった。少し蒸し蒸しするが、こうして秋が深くなっていくんだろう。
ヤギたちに発情の気配はない。正確に言うと人間の私には分からない。こういうときは、オスヤギになりたいものだが、そうはいかない。根気良く観察していこう。
私の牧場でとれるミルクの利用について、先日優先順位などの考えを書いたが、量の観点で言えば9割方はペットフードの会社に卸される。Oさんが経営するAという会社だが、秋田産の食材にこだわり、ほとんどの原材料を県内から仕入れ、それをペット用に加工して販売している。ヤギのミルクでつくったジェラートなどもある。イヌネコと言えば、残飯で育てることが常識という時代に育ったので、そのペットにジェラートというのだから隔世の感がある。
そのOさんにとってヤギのミルクは鬼門であった。秋田産のものがない。やむを得ず高知や愛知から取り寄せていたが、しかなる上は秋田で自分がヤギを飼ってミルクをとるしかない、と思い至った。そこで子ヤギを譲ってくれないかというオファーがあったのである。4-5年も前のことだ。それは実現し、今、OさんのヤギはA牧場さんに委託飼養され、もう10匹は超えたのではなかろうか。
あるとき、私のところのミルクをサンプルでお渡しした。それを試飲されたところ、合格だったらしい。卸してくれないかという連絡をいただいた次第である。ミルクの安全性や質に関しては私も自負しているが、生産量を増やしていくつもりはない。それでよろしければ、ということで取り引きが始まった。それでも今のところはA牧場さんでの生産量よりはかなり多いようだ。両横綱揃い踏みのお陰である。
ミルクに無駄を出さず、また、子ヤギも里親さんが現れてくれる。ヤギを飼ってミルクをとろうというのは、世間知らずの酔狂で始めたようなものだが、手を抜かずに続け、いくつかのご縁もあってこうしてここまで来れた。お陰さま、です。
今日のヤギ時間:トータル4時間
今日は日本山羊研究会というものがあって、それに参加した。畜産学会の一環なので、かなり正式なものだ。会場の岐阜大にはさすがに行けないのでオンラインで参加。こういう場に立ち会うことは近頃とんとないから新鮮だった。研究会だけあってテーマも重厚なものばかりである。
【研究発表】
1) クラフトビール製造由来の麦芽粕サイレージの成分とヤギにおける消化性の解明
2) 初産および経産ヤギの乳生産量の違いがBCSに及ぼす影響
3) 北海道の牧場における山羊バルク乳成分の周年変動の観察
【事例報告】
4) モンゴル・ゾド(雪害)が山羊の放牧行動管理に及ぼす影響を探る 一遊牧民の事例より
5) 日本のヤギに対する獣医療の現状
6) 山羊放牧による河川敷植生管理と反芻動物用無線探索器の利用
【学術講演】
31か月及び65か月間継続中の愛玩的なヤギ除草放牧の飼育管理と疾病対策の実際
当たり前のことだが、大学の研究はアカデミックなものが多く、NPOなど、民間は現場目線になる。いろいろ気づかされることが多い。まず大きなところでは、私のヤギ飼養に対する姿勢をきちんと言語化していく必要がありそうだ。難しいが、大事なことだ。具体的なところでもいくつかある。私の牧場にオスヤギはいないが、供出する立場である以上、去勢オスヤギが罹りやすい尿路結石のメカニズムをきちんと知らないといけないと思った。初期症状や防止策、あるいは治療法。また、ヤギミルクの利用としてカッテージチーズを作っているが、さらに知識を深めてレンネットタイプのチーズにも挑戦してみたくなった。これなどはまだまだミルクシーズンだから、すぐに取り組める。やってみようじゃないか。
今日のヤギ時間:トータル8時間
メッコのミルクが解禁。今日から使えるようになった。熱っぽいので獣医に来ていただいたのが先週の水曜日。抗生剤などの注射を2本打っていただいた。その甲斐あって、容態は数日で回復したが、こうして薬剤が体に入ると、それが抜けるまでミルクは使えない。忍びないが、搾っても廃棄する。薬剤の種類によってその期間は決まっており、今回の注射は一週間だった。もう一日安全をみて、今日から解禁することにした。
乳量は戻り切ったとは言えない。体調を崩す前の半分くらいかな、それでもこれでリンともども両横綱の揃い踏み、嬉しいことだ。
乳房のかたちは左右で微妙に違う。子ヤギが飲みやすいかたちとそうでないものがあって、どちらかに偏って吸いつく。つまり、どちらかは飲み尽くされてペシャンコになり、逆側は飲まれないので張っていき、ますます飲みづらくなってパンパンになる。子ヤギの成長に従い、おっぱいの飲み方が上手になるので解消されていくものだが、メッコの場合、乳量があるので追いつかなかったようだ。里親さんにお渡しするまで、左は飲まれているが、右が張るので、日に一度搾っていた。それが今は逆になった。左が張ってきて、右はそうでもなくなった。ホルモンの為せることなのか?分からない。この逆転現象、異常ではないと思う。分かってきたつもりでも、こうしてなにかあるとヤギのことはまったく分からないと思い知る。個体差も結構あるし、ヤギ全般に言えることなのか、固有の問題なのか、それすらも分からない。
神秘だなあ。
先日、蒔いた牧草から芽が出た。蒔いた翌日の大雨で随分流されてしまったようで、果たして斜面には余り緑が見えない。半分は流されても、半分残ってくれれば、という気でいるが、どうだろうか。しばらくは毎朝観てみよう。
今日のヤギ時間:トータル4時間
日中の蒸し暑い薄曇りの底がやぶれたように、夕刻から雨が降り出した。朝の世話を終えて、歩け歩け運動へ。歩くのが下手になっているので、運動しなければ、と思った次第だ。3kmの道を40分。もっと速く歩かないとダメだな。続けよう。
干し草の続きを書くが、私にも良く分かっていないことがたくさんある。栄養、つまり餌のことは終わりのない旅のようなものだと思う。科学的であり、神秘でもある。分からないことは分からないと正直に書くので、ご了承ください。
ヤギを飼い始めるに当たって準備しなければならないことがいくつかある。小屋の整備は大事だが、これはなんとなく見当がつく。だが、干し草のことはかいもく分からないのではないだろうか。
どこから求めれば良いか、いくらくらいなのか。どの程度あげれば良いのか、良し悪しはどうやって見分けるのか、種類のようなものはあるのか。まずそのひとつひとつにお答えしよう。
1. どこから求めれば良いのか
私は、近くの町の酪農家さんから分けてもらっている。初めの頃はなくなった都度いろいろな伝手で探し歩いたが、このF牧場さんに辿り着いてからは定着した。牛や馬を飼っている牧場にあたってみるのが良いと思う。JAから購入している方もいらっしゃる。
2. いくらくらいなのか
私が譲ってもらっている干し草は税込11,.000円。直径1.5m、重さ300kgほどである。相場はわからない。質や大きさにもよるだろうし。譲る方と譲られる側の双方が納得できれば、それで良いのではないか。
3. どの程度あげれば良いのか
理屈で言えば、乾物重量として成体一匹一日2kgと言われている。干し草の水分量は20%ほどもある。乾物重量とは、この水分量が0としてのものなので、結構な量になる。私はいつでも食べられるだけ食べれるようにしている。それでも一日2kgに届くか、どうかというところだろう。飽食させて良いのではないかと思う。
4. 良し悪しはどう見分けるのか
ずばりヤギの食いつきが良いか、悪いかがバロメーターである。しかし、与える前にどうかを知りたいのが普通だろう。良い干し草は良く乾燥している。触ってみてロールの芯のところまで良く乾燥している。少しほぐしてみると芳しい香りがする。カビ臭かったりするもの、古くて香りがしないものは避けたい。太くて固いものは残しがちになる。細めで柔らかいものがあれば好まれると思う。ヤギの気分になって選んでください。
5. 種類のようなものはあるのか
あります。これが悩ましい。どういう組合わせで与えるのが良いのか、試行錯誤しているが、良く分かりません。
まず刈り取りの時期によって一番草、二番草、三番草がある。一番は栄養価が高く、しかし固い。二番、三番となるにつれ栄養価は下がるが柔らかくて食べやすくなる。一から三をどう使い分けるか、組み合わせるか。例えば、生後2-3ヶ月はルーメンが発達している真っ最中。胃袋を丈夫にする訓練をするタイミングである。三番草で食べる訓練をし、かつ栄養価のある牧草を織り交ぜて成長を促す。高齢のヤギも柔らかいものを好む。搾乳ヤギには栄養のある一番草を与える。去勢したオスヤギには二番草で十分、ただし、子ヤギのときは成長期なので栄養価のある草を与える。青草のときでも、栄養の偏りを防ぐため干し草をちゃんと食べさせる、などなど。
チモシー、アルファルファ、クローバー、オーチャードグラス、オーツヘイなど。
サイレージをかけたもの、そのまま乾燥させたもの。
これだけの違いがあり、その違い分だけの組合わせがあって、しかも実際にはこれに配合飼料や青草が被さってくるので、なにをどうすれば良いのか分からない、というのが本音である。
私はF牧場さんの牛への与え方を参考にさせてもらっている。結論から言うと、さほど神経質になることはない。ヤギはかなり柔軟に対応できるで動物なで、こういうやり方はダメだよ、というNG行為を抑えて、それを避ければまず大丈夫という考えくらいがよろしい。その上で餌は成長や乳量に直結する大事なものなので、いろいろ勉強して試行錯誤するしかないと思う。
一緒に旅に出ませんか。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
今日は薄曇りで、日中は湿度が高く蒸れる一日だった。こういう田舎に住んで、ヤギまで飼っていると天気のことはかなり気になる。ここに移り住んだ頃は秋田の天気予報はあてにならないと思っていた。日本海気候は気まぐれだが、それにしても良く外れた。最近は抜群に的中率が上がったのではないか。あてにしてます。しかし、それで災害が減ったかと言うとどうもそうではないようだ。むしろ甚大な被害をもたらす気象災害が増えている気がする。的確な予報と迅速な避難ができれば、命は助かるも知れないが、生活を根こそぎ破壊されたダメージは大きい。命さえ助かれば良いということでないだろうから、こういう時代の被災者支援をかたち作っていかなければならないだろう。
気象予報の精度を上げた科学の発展と異常気象をもたらすようになった地球環境の破壊とが、もし同じ根っこにあるなら、この先どうなっていくのだろう。「明日、あなたの住んでいるところは破滅します」という精度の高いピンポイント予測ができても、それを防ぐことができない、ということなのかも知れない。それは、勘弁してほしいが。
今日は餌のことを話そう。
干し草は、車で小一時間の牧場から毎回譲ってもらっている。チモシーなどの混植の一番草である。今は飼養頭数も減ったので、月に1ロールあれば十分。青草の季節は干し草の消費量は減るので3ヶ月ほどももつ。干し草は、いつでも飽食できるようにしてある。青草の時期と言えど、雨が続けば頼りになるのは干し草だ。
干し草はヤギの餌のベースになる、非常に大事な餌だ。とくに秋田は11月から4月まで青草はとれないので、干し草頼みになる。私が譲ってもらっているF牧場さんのものは良質で食いつきも良く重宝している。
そうは言っても、この干し草を100%食べ切るわけではなく、いわゆる「食い残し、食いこぼれ」がでる。結構、出る。少し太くて固い、食べ難いところは食べないし、地べたにこぼれたものも食べない。ときには三割ほども。だからヤギ飼いにとって、これをどうやって減らすかが課題になる。押切という道具を使って10センチほどに短く切ると良いと言われる。確かに効果があるが、私は、干し草小屋が狭くてそういうスペースがとれない上、この押切が錆びついてきてしまったのでやめた。干し草は持ってきたては、良い香りがして、乾燥して美味そうだが、しばらくすると空気中の湿度を吸ってくるので、早めに消費した方が良い。そういう心理もあって、食い残しを気にしないようにしている。
週に一度くらい、私は食い残したものと地べたに食いこぼした干し草を拾い集めて処分している。集めたものをドラム缶に入れて焼く。ぎゅうぎゅうに押し込めてドラム缶二杯ほどにもなる。地べたに落ちた干し草が堆積し、雨などに濡れるとやがて腐ってくる。それはハエのウジなどの温床になる。それを防ぎたいので拾い集めているのだ。
ヤギの小屋やパドックなど生育範囲の要諦は「乾燥と通気」だと私は思っている。ジメジメした環境は病気を呼ぶ。フンを拾い、こぼれた干し草も拾い、風通しを良くしていつでも床やパドックが綺麗で乾燥しているように努めている。私のやり方だけが正しいとは思わないし、言わない。けれど、これが私の矜持です。
今日のヤギ時間:トータル5時間
今年は暑さのせいなんだろう、アメリカシロヒトリ(以下、アメシロ)が大発生している。たまらず業者にお願いして薬を撒いた。私たちが移り住む前から立っていた古木が特に酷く、すっかり葉を落として冬の木の風情になってしまった。私たちが移り住んでから植えた木にも被害は出ているが、総じて老木ほどひどくはない。なんでも、若い木はアメシロなどにやられると防御のために忌避成分を出すのだそうだ。虫や蛾がそれを嫌って寄りつきにくくなるので、壊滅的にはやられないのだと言う。それで思い出したのが、東方美人という台湾の烏龍茶である。ウンカにわざわざ吸液させてこの忌避成分を誘発させる、そうするとコクのある茶葉になるそうだ。だが、加齢とともにその機能は弱まってしまい、だから老木はひどくやられてしまう。なんだか我が身が冒されるようで切ないね。
さて、「ヤギと人」というテーマがシリーズのようになつているが、人と関係するのは、なにも生体ヤギとは限らない。ヤギのミルクと人との関係もまた興味深い。今回はそちらの話しをしたい。
ヤギミルクからバターをつくり、自分で育てた小麦を挽いてクロワッサンを焼きたい方(以下、ヤギバターさんと呼ぶ)のことはいつぞや書いた。無邪気な動機ではあるが、そういうものにこそいろいろな可能性があると思うので、ご協力している。その方が大雨で崩れた砂土のどかし作業に駆けつけ、その対価としてヤギミルクをお渡し、実験してみることになったことも書いた。その続きである。
結論から言うと、実験は失敗だつた。惜しい、というものではなく、まったくダメだった。実験の内容は、ヤギのミルクを冷蔵庫で2-3日静置し、ホエーと分離した上澄をすくって冷凍保管する。この上澄が生クリームであり、これを繰り返して溜めていく、溜まったら撹拌器でかき混ぜてバターにする、というものである。その上澄が一向に取れなかったである。
レシピがおかしいか。
やり方がおかしいか。
ミルクがおかしいか。
レシピは現に成功している方のものだから、間違いない(筈である)。
やり方は単純明解で間違えようがない。
ということは、消去法としてミルク?それしかないのである。
ミルクそのものがおかしいことはないと思いたい。もし、そうなのなら、この話しはふりだしに戻って迷宮入りとなる。では、殺菌の方法?私は搾乳後、間髪入れず数分で殺菌に入る。65℃で30分。温度が均質になるよう撹拌する。30分経ったら、容器ごと氷水に浮かべて冷却、その後、用途に応じて冷蔵、若しくは冷凍で保管する。定期的に細菌検査や成分分析も行なっている。レストランでお客さまにお出ししているものなので安全には徹底して気を配っているのである。だからこそ、絶対的な自信もあるのだが、体感的にも確かに上澄が出るような感じはしない。なにか、別の殺菌方法を試してみる価値がある。
ヤギバターさんと協議。次回は私から無殺菌の原乳をお渡しし、ヤギバターさんの方で2つのパターンで試してみることにした。いろいろやってみよう。
この活動、このように順調というわけでは決してないが、いずれ結果を出せそうな感じはしている。発案者とヤギ飼いとヤギミルクという三味が既に一体となっており、ピースが揃っている。あとはどうやってはめようか、という問題だからである。発案者のめげない探究心や諦めない行動力は素晴らしい。遠からず、ヤギバターと自家製小麦粉で焼いたクロワッサンを頬張れそうである。その先にあるものも楽しみだ。
今日のヤギ時間:トータル 4時間30分
早朝、町内の清掃日。年に2回あり、秋は缶拾いである。田舎ではこういう集まりも段々難しくなってきている。町内の顔ぶれが揃うの数少ない機会である。缶屑には粗密がある。人の手が入って綺麗にしている土地に捨てる人はいない。誰かが捨てるとまた誰かがそこに捨てる。ゴミがゴミを呼ぶ。チューハイの空き缶もあるのは笑えるが、飲酒運転にもつながるので民度が疑われる。自分の町を自らの手で汚すことはやめてほしいものである。
私のことで言えば、歩くのが「下手になつている」。これじゃあ、ヨタヨタ爺さんだ。要改善マークである。
しばらくして、そぼそぼ雨が降ってきたので、今日はのんびりだ。夕方、風は冷たいが、随分湿度がある、妙な日だった。
メッコはすっかり良くなったようだ。乳量はまだ回復しておらず、もうしばらくかかりそうだ。このように乳量や乳質は、気温や食べ物、ヤギの体調に大きく左右される。安定して保つことは難しいのである。だから、乳用としてヤギを飼うことは、除草やペットよりも、数段、高いレベルが求められる。そもそも搾乳のトリガーは出産にあるから、ヤギの生理に精通しなければならない。馴致など、ヤギの躾がきちんとしてないと搾乳もできない。飼養技術という観点からは、乳用飼養者がこれからもヤギの世界をリードしていくことになると思う。
ヤギ飼いBになる方は、そこまで高い技術は求められないが、子ヤギの育児環境を持ち、人工哺乳などの技術を持ち、そのための時間もあり、そして高いモチベーションのある方、である必要がある。私がヤギ飼いAとすれば、そのパートナーになるのだから、おいそれとはみつからないだろう。
私にとって救いなのは、もしヤギ飼いBさんが見つからなかったとしても、私がなにかを失うわけではないこと。今までと変わらないし、致命的に困るわけではないこと。ただ、柔軟ヤギを育てることは諦めないといけませんね、というレベルの話しであること。そして、可能性はゼロではないと思っていること。
ヤギを飼ってみたいと考えている方の中で、一部積極的な方は私の牧場などに問い合わせをくれる。ヤギを買いたいんですが、譲っていただけますか、と。行動力のある方は研修に参加される。座学の他に実習もある。ヤギ飼いBになる方はきっとその中にいる気がする。私の牧場の里親さんで言うと8割の方は初めてヤギを飼う方である。若い世代の方も多い。県内の方は残念ながら少ない。いろいろなサポートを考えると近在であることは大事になる。というような条件を整理してみよう。ヤギ飼いBになるための条件である。
1. まずヤギが「大」好きでないといけない。ヤギを飼ってみようと準備している方で、ヤギと人の関係づくりに興味がある、好奇心が強くて柔らか頭な方
2. 私の牧場から車で2時間以内の近在の方
3. ヤギを飼うための人工哺乳などの技術習得に熱心な方
4. 時間の使い方に拘束の少ない方
たとえば、学生や自営・自由業の方
5. チームで行動できる方 つまり、なんらかの事情で自分が子ヤギの世話をできないときでも誰かのサポートが得られる方、もちろん家族でも可
う〜む、ハードルは高いが、イメージが随分固まってきた。動いてみる価値はありそうですね。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
めまい症の妻の病院に付き添った。夏の疲れなんだろう。普通に歩くこともできるので強いものではないが、安静が大事。なので、おとなしく暮らした一日だった。ヤギのこともデイリーのルーチンワークだけ行った。
この数日はモミガラを交換し、牧草の種蒔きをし、崩れた砂土のどかし作業もした。目まぐるしい毎日だったので、ひと休み、である。次は「削蹄」かな。そろそろそういう時期。少し落ち着いたら始めよう。
この日記を書くようになって、あらためて次から次に起こる「事件」の数々に我ながら驚いている。日記のネタにしたいので、わざと引き起こしているのではないかと誤解されそうなほど、毎日小さな事件が起きている。これがヤギを飼うということですよ、と言いたい。
起こっている事件はなにもヤギのことだけではない。この日記はヤギの日記だから、ヤギ以外のことは書かない。書いたとしても大括りでしか語らない。店のこと、庭のこと、その他の出来事。これらも足し合わせると大層なことになる。私は凡庸な農夫であり、老夫であり、飲食店の親父にすぎない。きっと傍目には平凡で退屈な時間を過ごしているように見えることだろう。とんでもないね。これが生きていくということなんですね、きっと。
遠くに行くため、の続きを。
柔軟ヤギを育てるのは、やはりヤギ飼いの仕事にするのが自然だろう。そこで、観光牧場を目指している藤里のSさんと話してみた。結論から言うと、彼にも別に家業があり、人工哺乳などの時間は作れないようだ。今居るヤギのための飼養環境をどうするかが最大の悩みであると言う。この春、私の牧場から引き取った子ヤギの懐き方で十分という感触もあって、つまり、人工哺乳という手間をかけてまで柔軟ヤギを育てる必要性を感じないし、だからモチベーションが湧かない。殆どのヤギ飼いの代表意見になるだろう。
多くのヤギ飼いは、ヤギから収入を得ていない。たぶん一銭も得ていない方が殆どなのではないか。生活の余力の範囲でヤギを飼っている。だから、柔軟ヤギを育てるのはヤギ飼いの仕事だといわれてもまったくピンと来ない。一銭も得ていないのだから。「好き」だから飼っているが本業もあるので「余裕があるわけではない」。これ以上のなにかを求められても応えられないし、「今のままで十分満足」しているので、応えていく気もない。それが実態であり、本音だろう。このままでは一歩を踏み出すこともなかなかできない。古典的なヤギの見方を批判ばかりしているが、産業としてヤギをとらええることは実は非常に大事なのである。この三位一体云々の活動もビジネスの視点を持たないといけない。稼ぐためではないにしろ、こういうことをやることでヤギ飼いAに、ヤギ飼いBになにがもたらされるのかを、自身でイメージしていただく必要がある。たとえ儲けることができなくても、損をさせてはならないし、であるほど、お金ではないなにか豊かなものがないと人は動かない。継続できる仕組みをつくらないと。
柔軟ヤギを育てる要素が、環境、時間、技術、モチベーションの4つであるとしたら、多くのヤギ飼いが持っているのは「技術」だけである。環境もあるでしょ、だって?もちろん、今既にヤギを飼っている環境はある。ただ、柔軟ヤギを育てるためには付加環境が必要になってくる。そこまでは「ない」のが実情である。一方、発案者が持っているものも多くの場合「モチベーション」だけである。これではいつまで経ってもピースが埋まらい。
今のプレイヤーでそれが埋めれないなら、プレイヤー、つまり仲間を増やさなければならない。遠くに行くために、みんなで手をつなぐいうことである。
具体的に言おう。私の牧場で産まれた子ヤギを生後10日ほど、つまり初乳時期が過ぎ、除角か終わって、自力排便もできる頃に、親から引き離して、以降、ヤギ飼いBのもとで人工哺乳で育てる。(私はヤギ飼いAである。)ヤギ飼いBは離乳管理も行う。ヤギ飼いBは生後3ヶ月まで育児し、以降は里親に渡すことになる。このヤギ飼いBというプレイヤーを新たに仲間に入れるという案である。
ヤギ飼いBは、育児環境を持ち、人工哺乳などの技術を持ち、そのための時間もあり、そして高いモチベーションが必要となる。大変なので、誰にでもできることではない。それでも、ヤギ飼いAより負担は軽い。3ヶ月という期間限定であるし、交配・出産といったもっとも大変なところはヤギ飼いAが担っている。柔軟ヤギを育てるためにヤギ飼いAにのしかかる負担をヤギ飼いBというプレイヤーを配置することで回避し、しかも全体のピースを埋めるという方策である。ヤギ飼いBになるために必要な環境づくりや技術のハードルはさほど高くないが、課題は時間とモチベーション。このふたつは重い。相当、チャレンジ精神が旺盛な方でないと務まらないだろう。
はてさて、こんな人、ほんとに居るんだろうか。また、続く。
今日のヤギ時間:トータル3時間
今日は週末のお客さまのための仕入れ日である。町内外を数軒周るので、それなりに時間がかかる。仕入れするということは、仕込みをする、ということである。相応に時間がかかる。こういう日、ヤギのことはデイリーのルーチンワークが主体となる。メッコはどうやら熱は下がったが、まだ本調子ではない。先日、注射を打ったので1週間はミルクを使えない。そもそも、こうして体調が良くないときは防衛本能が働くんだろう、乳量もない。ともかく、早い回復が一番。注意深く観察しよう。
今、女子ラグビーのワールドカップがイギリスで開催されている。若い頃、夢中に取り組んだ競技なので興味深く観ているが、あのタイミングで、あの角度で、あのスピードで入られたら、あの頃の私でも止められないなと思う。まだ男子のトップチームには及ばないが、レベルの高いプレイが随所に見られる。
彼女たちの言動に触れると日本は男女の平等という視点で後進国であることが良く分かる。肝心なのはリスペクトなのだろう。
ゲームが終わってからの彼女たちのふるまいや表情が素晴らしい。心かラグビーを楽しんでいることが伝わってくる。
「心から楽しむ」ことが力の源泉になることをあらためて教えてくれる。私もヤギ飼いを心から楽しむことにしよう。
早く行くなら一人で行け、遠くに行くならみんなで行け、という諺がある。
先日、古典的で偏った見方でヤギの可能性を閉じ込めるのはやめよう、もっと自由に、という話しをした、具体的にどうすれば良いのか、考えてみたい。難題であるが。
ありていに言えば、人とヤギの関係をあらたに創っていくということだ。そのためにはヤギと「こういう新たな関係を創りたい」と欲する者(以下、発案者と呼ぼう)がいないとできない。例えば、ヤギとオンライン会議のことであれば、私がいくらヤギに詳しくても私にはそういう発想は湧いてこない。ヤギをオンライン会議に出席させたら場が和んで面白い、やってみようと思い立って行動する人が要る。ただ、こういうことに理解を示すヤギ飼い(以下、ヤギ飼い)とそれに柔軟に対応するヤギ(以下、柔軟ヤギ)がいなければやはり実現できない。いくつかのピースが揃わないとできないのである。
これまで日本のヤギ界は「発案者」を仲間に取り込むことに余りにも無頓着であった。だから、古典的な考えや価値観から一向に抜け出せない。
また、「柔軟に対応するヤギ」と言葉にするのは簡単であるが、そういうヤギがなかなかいない。人工哺乳が常識になるような改革が必要になる気がする。しかし、日本のヤギ飼いは個人の小規模飼養が殆どなので、親子分離・人工育児の体制を作るのが難しい。ここをどうにかしないといけない。
「空飛ぶヤギ」においては、これがネックになった。Uさんという発案者はいた。私というヤギ飼いもいた。ただ、柔軟ヤギがいなかった。発案者はヤギ飼いに柔軟ヤギを求め、ヤギ飼いは柔軟ヤギを発案者が育てることを期待した。残念ながらピースが埋まらなかったのである。どうしたらいいのだろう。
発案者とヤギ飼いと柔軟ヤギ、遠くに行くために、この三位一体が見えた。今日はここまで。
今日のヤギ時間:トータル3時間
今日はMワイナリーさん経由でI牧場さんを紹介いただき、モミガラをいただきに上がった。野晒し保管されていたようなので、自牧場に戻ってから状態の悪いところは捨て、夕方まで天日に干して使うことにした。これまでは近くのカントリーエレベーターだけが唯一のモミガラの窓口だったが、枯渇したお陰でパイプが広がった。転んでもただでは起きない奴。
Mワイナリーさんの子ヤギはようやく新しい環境に馴染み始めたところだ。広大な敷地の中で心優しいワイン野郎に囲まれて、幸せに育つんだろうな、きっと。そう思うと笑みがこぼれてくる。
もう9月になった。まだまだ残暑が厳しい中ではあるが、秋を感じさせる風が吹くこともある。この季節になると大事なのが「発情」の見極めである。いつもの観察に加え、結構注意深く様子を見ないといけない。
ヤギの妊娠期間は151日である。秋田の冬は寒いので厳寒の1-2月の出産は避けている。3月に入ってから中旬までが理想。となると、10月に入って中旬までには受胎させたい、ならば9月中には発情周期を抑えておきたい、ということになる、9月中に発情の見極めができないとかなり焦る。この数年は困ったことに焦ることが多い。あれは発情かな?いや、違うかな?というふるまいばかりなのである。
発情が来たら、最初のものは見逃す。40時間程度で収まり、3週間後に次の発情がやってくる。このタイミングで精子を取り寄せて人工授精するのである。上手く受胎すれば、もう発情は来ない。失敗したら、次の3週間後にまた発情が来るので人工授精することになる。1回で受胎する確率は7割ほどである。私は9割まで成功させている。成功のポイントはいくつかあるが、やはり発情の見極めが一番である。焦らない10月を迎えたいものである。
人工受精を試したい方は案外いらっしゃる。だが壁が高いと感じてしまうらしい。やりに来てくれ、と頼まれることが多い。私が車で駆けつけるより、そばに居る飼い主が処置するのか、どう考えても合理的である。難しくはないので、是非試して欲しい。今までオスヤギに任せていたタイミングを人が見極めなければならないことが厄介らしいが、これを機会に自分のヤギを良く観察して欲しい。発情以外の発見もたくさん出てくるのではなかろうか。
今日のヤギ時間:トータル8時間
雨雲一過、良い天気だった。
メッコの熱が3日続いたので、今朝、S先生にお越しいただき、2本注射を打ってもらった。この春から3匹の子育てで働き通しだったし、内2匹は4ヶ月程も一緒だった。猛暑の夏だったので、さすがに疲れが出てきたのかも知れない。仕草もフンも正常。夕方には食欲も戻り、熱も下がってきた。早く良くなって欲しい。
今日はモミガラを交換。藤里のSさんの骨折りで入手できた。助かった。藤里に行った子ヤギたちは元気にしていた。可愛がってもらえていることが良く分かる。Sさんはヤギ飼い2年目でいろいろ考えているようだ。どう発展していくか楽しみである。綺麗になった床は気持ちがいい。もう少し欲しいので、明日はMワイナリーさんを頼っていくつもりだ。あそこの子ヤギはどうか。もちろん見てくるつもりだ。
忙しい。が、楽しい。
行きつ戻りつ、またミルクの話題をする。ミルクの保存に関して蘊蓄を垂れ流したい。
低温殺菌したミルクを保存する方法は3つほどある。冷蔵、冷凍、パウダー加工である。
風味豊かなのは、なんといっても冷蔵だ。だが、賞味期限が一週間ほどしかない生鮮食品である。
フリーズドライなどによるパウダー加工も優れものであるが、素人にできるものではない。製造委託の必要があり、手軽とはとても言えない。
となると、残るのは冷凍。余り知られていないがミルクは冷凍が可能な食材である。冷蔵に比べると風味はやや落ちるが、これで2-3ヶ月は保存できる。この際、注意してほしいことがある。
それは「分離」のこと。これはミルクの成分中の水分と脂肪などの凝固点の違いから起こる。つまり、水分部分が最初に凍って、次いで脂肪やタンパク質などが凍りつく、僅か0.5℃ほどの凝固温度の違いが起こす時間差で分離が生じてしまうのである。分離は解凍後も解消されず、舌触りのザラつきなどにつながり、風味を落とす。これを回避するためには「小さい容器に入れて、あるいは薄い板状にして、急速、一気に冷やす」ことに尽きる。要するに凝固の時間差をつくらず、全部同時に冷凍させることである。正確に言えば、全部同時に、というのは不可能。時間差をゼロに近づけることで分離を極小化させるのである。
私は180mlの容器を冷凍用に使い、業務用のパワーのある冷凍庫で急速に凍らせる。800mlサイズの容器では同じ手順でやっても分離が起きてしまう。Ziplocを利用することもあるが、その場合は平らにして板状に薄っぺらくし、パットなどに乗せて凍らせる。家庭用の製氷器なども良いと思う。
解凍は冷蔵庫に一晩置いて自然解凍させる。軽く振って、なるべく短時間に消費するようにしている。イヌ、ネコに与える場合は少し温めると香りがたって喜ぶようである。お試しください。
なお、ミルクは冷凍すると黄ばんで見えるが、これは正常で心配要らない。普段、ミルクが真っ白なのは脂肪球がコロイド状に水分中に漂い、光を反射するからであり。凍りつくと、脂肪の黄色がそのまま出てしまう。解凍するとまた真っ白に戻りますので、ご安心を。
今日のヤギ時間:トータル8時間
今朝から雷を伴って激しい雨が降っている。午後になって少し落ちついたが、明日の明け方までこんな感じらしい。種蒔き後、程よいおしめりはウェルカムだが、これだけ激しいのは歓迎されない。雨水の勢いで種が流されてしまうからである。でも、まあ、蒔いてしまったものはしょうがない。雨がジャバジャバ降るのもしょうがない。ケセラセラ。困ったのは長い停電。搾乳したミルクが、停電だから機械が動かず殺菌できない。捨てるしかなくなってしまった。忍びないなあ。
お昼に造園業の方に来てもらって庭の手入れことで相談した。とりあえずはびこっているアメシロ退治をお願いした。明日、その作業をしてくれると言う。大雨で予定していた造園の仕事ができなくなり、こうやって打ち合わせできた。酷い天気であっても、100%悪いことしかないものなんてない、ということなんだろう。
いずれ、こういう日は開き直ってのんびり過ごすに限る。ということで、ミルクの話しを通じてヤギはなぜ産業家畜として淘汰されてしまったのか、そんなヤギたちに活路はあるのか、を考えたい。
一般に牛の泌乳量は一日あたり20〜30リットルと言われる。リンやメッコがいくらスーパー母ちゃんだとしても、それは山羊界のことで、桁が違う。ヤギ10匹を飼うのを止めて牛一匹にした方が楽である。これが理由のひとつ。
もうひとつは、ザーネンなどのヤギは季節性繁殖なので、冬の間は乾乳のため、一斉にミルクがとれない、ことである。日常的に飲むミルクに供給の空白期間があることは商品として致命的に痛い。
牛も乾乳する。ただ、周年繁殖の動物だから、Aという個体が乾乳中であってもBは搾れる。こうして牛乳は一年中途切れることなく供給されるのである。
乳量と季節性、ヤギが市場から駆逐された2つの大きな理由である。
ところで、これはあくまで「家畜としての」産業という(偏った)視点によるものである。しかも、牛や豚などのいわゆる産業型家畜と比べている。ヤギには弱点があるので、どうにかしないといけない、あるいは、いや、こんないいことがヤギにはある、というそういう発想である。最近、私が感じるのは、こういう狭い考えにヤギ関係者になるほど縛られていやしないかということである。ヤギというものを、従来のミルクや肉、毛皮、除草という有用性から解き放し、新たな有用性を創造すべき立場の専門家が、逆にミルクや肉や毛皮、除草といった狭い枠の中にヤギを閉じ込めてしまっているように見える。そこにあるのは、牛や豚との産業的尺度での比較に伴う僅かなのびしろであり、つまりは思考停止である。
たとえばコロナ禍のとき、オンライン会議にヤギを参加させるサービスがアメリカであった。同じくアメリカで子ヤギとヨガを楽しむサークルがある。今必要なことはこういう発想である。日本のヤギ研究会のテーマにこの類のものを見たことがないのが、残念である。ヤギと真面目につきあうということは、こういう古典的なジャンルの中に自らを入れ込むことだという呪縛があるかのようだ。ヤギに関心を持つ若い方たちはヤギと牛を並べて見てなどいない。ヤギをただヤギとして正面から見据えている。人とヤギとの関係を自由に観る姿勢は健全に思える。
産業的な偏った見方によってヤギは劣勢に立たされ、結果淘汰されてきた。そうではなく、視野を大きく広げていくときが来ている。私が「空飛ぶヤギ」を応援したい気持ちはここから出ている。
私とヤギとは、ミルクを外せない関係なので古典的なジャンルの中に居る。しかし、私とヤギとの心理的距離感は、ここから外れている気がする。
ミルクの話しに戻るが、伝統を重んじるヨーロッパではヤギは重宝され、チーズは牛のものより格上とされている。フランスでは「シェーブル」と呼ばれ、初夏の風物詩になっている。ヤギミルクの季節性がむしろ価値に変わっている。こうした伝統的な価値とオンラインのヤギに共通点を感じるのは私だけだろうか。そこにヤギ復権のヒントが隠れている気がする。
日本の産業視点でしかヤギを捉えられない姿勢は、私たちには常識であっても、世界的には極めて特異なのだろうと思う。明治になって、政府は、先進国の仲間入りを果たそうと西洋にある文明の上っ面を日本に持ち込んだ。ヤギもそのひとつである、こうした歴史を紐解くと見えてくるものがある筈だ。そこには、ヤギのことだけに納まらない私たち日本人の普遍的な特徴があるのかも知れない。それはまたの機会にしたい。
もっと自由に。ヤギと牛を比べるのはもうやめよう。かく言う、私が一番なんだが。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
今晩から明日にかけて雨の予報である。その予報に思い立って裏山に牧草の種を蒔くことにした。
牧草の種蒔きは面倒なものではない。肥料に種を混ぜて、地面一面にばら蒔いていく、ばら蒔いたら、雨や風に流されないよう足で踏みつけて歩く、それだけである。それだけなのだが、なにしろ1,000m2の斜面なのでひと仕事にはなる。秋田の気候を考えると9月の中頃までには蒔いておきたかった。寒くなるまでに根付きまでさせることが大事だからである。そうするとその状態で冬越しし、来春、緑の絨毯になる。10日ほどで発芽するだろう。今日から来春までは裏山は養生のため立入禁止。上手くいって緑一面になって欲しい。
メッコが今朝から熱っぽい。搾乳の手触りですぐ分かる。さすがに食欲はないが、目の力や表情はいつもどおりなので様子を見ても良いと判断した。こうして体調に異変を感じることは多くないので、気にはなる。早く治れ。
今日もミルクの話題を。ヤギミルクの特徴を整理しておきたい。
「お腹に優しいミルク」だと言える。脂肪球の大きさが牛乳の1/6と小さいため、しっとりしていて消化し易い。人の母乳に近いとされ、必須アミノ酸やミネラルが豊富だという栄養的特徴もある。
「ヤギのミルクは臭い」という先入観があって遠慮される方もいるが、ミルクの味わいは食べ物から大きく影響を受ける。また、周囲の環境の臭いを吸収するという性格がある。「(臭い)オスのそばでミルクを搾るな」と昔から言われる所以である。私の牧場でとれるヤギミルクは、まったくそういうことがない。みなさん驚かれるが、万人の舌に合う味だと自負している。
ただ、ヤギミルクはアレルギーの人にも大丈夫だという神話には慎重になって欲しい。牛乳ほどアレルギー性は強くないが、非アレルギー食品ではない。もっと詳しく言えば、牛乳の主なアレルゲンであるアルファS1カゼインという蛋白質は確かに非常に少なく、人の母乳同様βカゼインが主体である。だから、このアルファS1カゼインに反応しているお子さんなどには有効と言える。ただ、βラクトグロブリンというアレルゲンは持っており、もちろん牛のそれとは形状が異なるが、交差反応を起こしてしまう恐れがある。牛乳アレルギーをお持ちの方がαS1カゼインに反応しているのか、βラクトグロブリンに反応するのかは通常の検査では判別できないらしい。飲んでみないと分からないのはつらい。牛乳アレルギーをお持ちのお子さんなどは十分注意された方が良いと思う。感覚的な言い方で申し訳ないが、牛乳アレルギーの強いお子さんなどには、ヤギであっても多少は反応してしまうことが多い気がする。
通常、哺乳類は赤ん坊の間だけミルクのお世話になる。このため、ミルクの乳糖(ラクトース)を分解・消化する酵素が、大人になると分泌できなくなってしまう。日本人にはこの体質の方が多く、イヌやネコなどもそうである。牛乳を飲むとお腹がゴロゴロして下痢などをしてしまう「乳糖不耐症」である。この乳糖不耐症にはヤギミルクは良い。消化が良く、お腹にやさしいからだそうである。
発疹やかぶれ、吐き気など、広範囲な反応を併発しない場合、これはアレルギーではなく、乳糖不耐症である。
ヤギミルク、お試しの価値あり、です。
今日のヤギ時間:トータル5時間
店は今日まで夏休み。
今朝から、崩れてきた砂土寄せのために助っ人が駆けつけてくれた。若者はキビキビ動ける、いいなあ。これで、埋まりかけていたヤギ小屋がスッキリした。小屋の床部に開けてある排水口が砂で埋まってしまって、このままではモミガラ交換しても床を洗浄できなかったのだ。これで、存分に交換作業ができる。枯渇してしまったモミガラは、藤里のSさんとMワイナリーさんの伝手で、保管してある農家や牧場の方を紹介してもらえることになった。ありがたや。今週のどこかで天気と相談して進めよう。あとは、牧草の種蒔きまでできれば完璧だな。
孫たちが来ていたとき、芋掘りに誘ってくれたご近所さんにそのときの芋つるを今度はヤギのためにいただいた。好きでよく食べる。孫にもヤギにも最高のプレゼントだ。
支えられてるなあ、田舎に住むことの特権であるかもしれない。
リンとメッコの搾乳は順調である。休み中、レストランで使うことはないから、ほぼすべてをペットフード会社さんに卸している。こうして漏らすことなく有用に消費できることは、素直に嬉しい。
通常、搾乳したミルクは、①まずレストランで利用する②次に直販を希望する方にお送りする③次いで、ペットフード会社に卸す④最後にご近所配り、サクラネコの会へのカンパという手順で消費するので、余すことなく消費される。使おうと思えば③までですべて使えるので、④は意図的に仕組んでときどきお分けしている。②は今のところ口コミだけであるが、通販サイトを準備中である。
イヌやネコには牛乳ではなく、ヤギミルクが使われる。牛乳だとお腹をこわしてしまうからである。国内で販売されているものはほとんどが輸入のパウダーもので、国産の生乳は希少である。おりからのペットブームで需要も相当あるようだ。
昨日「ヤギは産業的でない」と言ったが、たとえ小遣い程度であってもヤギを飼うことが、お金を得ることにつながるのはとても大切だと考えている。ミルクである必要はなく、除草やペット目的のレンタルであっても構わない。「スーパーに行って200円の牛乳を買ってくるのではなく、たとえ時間の拘束があってもヤギを飼って、ミルクを搾るという考えも認められる世の中の方が素敵だ」と確かに言ったが「お金を得る」ということはヤギ復権の必要条件だと思う。手塩をかけて育てたものがお金に変わることは素直に嬉しい。世の中の方が(私の)ヤギ(のミルクなど)を(お金をかけてまで得たいと)評価してくれる証だからである。張り合いになる。
空飛ぶヤギのことを書いたが、こうした自己実現の夢をヤギに重ねることも良い。伝統的には、ミルクや肉、毛皮などに有用であったが、それは時代とともに変わる。情操や癒しというものにシフトしたとしても、それに応え得るだけのキャパシティをヤギは持っている。コロナ禍が席巻した頃、アメリカでオンライン会議にヤギを参加させるビジネスが流行った。会議が和むんだそうだ。ヤギヨガは今でも続いているらしい。それこそ「空飛ぶヤギツアー」が実現する世の中が来るかも知れない。人とヤギの関係はもっと自由であって良いと思う。
ただ、どのようになったとしても動物としてのヤギは1ミリも変わらない。草食動物としての食性や生来の気質などを人の都合で変えることはいかようにしてもできない。だから、学んで欲しいし、対話して欲しい。また、たとえ小遣いレベルであろうが、お金を得たいのであれば、あるレベル以上でキチンと飼って欲しい。
僕のヤギを通じた夢は、きっとそういうところにありそうな気がする。
今日のヤギ時間:トータル4時間
娘と孫たちが帰って、賑やかな疾風が吹き去り、日常が戻ってきた。孫というものは、来て嬉しくあり、帰ってまた嬉しいものらしい。なるほど。
ウチのネコはおヒト(ネコ?)好しなので、5歳と9歳になるガキンチョにいじりまわされていた。ほとほと疲れたとみえ、今、隣で気絶するように寝ている。お疲れさん。
娘たちは今日の夕便でそれざれの地元に帰っていった。空港まで送り、お墓参りなども途中でした。この数日のヤギの世話は必要最低限レベルだったが、良い夏休みだった。
さて、ヤギのことであるが、子ヤギが里親さんに去ったら、それまで最低でも4時間半かかっていた世話時間が3時間ほどで済むようになった。内容や質を落としたわけではないので、単純にそれだけ手間が減ったということなんだろう。どこでとれだけ手間がかからなくなっているのか、指折り数えても計算が合わないのが不思議だが、そうなのだ。
成体のヤギが6匹いたときは大変だった。子ヤギが産まれると20匹近くなる。この牧場の広さなどの環境や手数、飼養のレベルなどを考えると今の規模が程よいところだと思う。怖いのは多頭崩壊である。限界を超えるとなだらかにではなく、急速に一気に飼養レベルが低下する。これは絶対に避けなければならない。環境を充実させ、飼養の手数を増やすことで救済できるが、一番簡単なやり方はヤギを減らすことである。要は分相応の範囲でやるということである。ヤギは産業的とは言えないので、小さな規模でたくさんの方が分相応に飼うのが望ましいと私は思う。その分、愛情深く、個体管理して飼うのが良い。自分で言うのはなんだが、私の牧場の飼養レベルは高いと思う。このレベルを日に3時間程度で保てるなら汎用的である。
ヤギは、戦後、牛や豚など産業型の家畜にとって代わられ淘汰された。家畜界の産業化は経済復興の一環であり、国策であったことは事実だが、私はそれを「豊かになりたい、楽をしたい」という私たちの欲望が強烈に後押ししたんだと思っている。ヤギに縛られる生活より、スーパーに行って200円で牛乳を買って飲んだ方が良い、という選択をしたのである。そして、その考えは今なお深く私たちに根ざしている、いや、あの時代よりも増幅しているかも知れない。その判断や価値観が誤っているとは言わない。ただ、スーパーに行って200円の牛乳を買ってくるのではなく、たとえ時間の拘束があってもヤギを飼って、ミルクを搾るという考えも認められる世の中の方が素敵なのではないだろうか。いかがだろう。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
狭い我が家に布団がところ狭しと並んでいる。合宿のよう。雑魚寝というやつである。ここに移り住んで家を建てたとき客間という概念がなかった。いやなに、リビングと言うかダイニングなら広い。店舗兼住宅なので、店の環境を使えば良いから、レストラン仕様である。ただ、宿泊場所については、一年にどれだけ泊まりにくるか分からないのに、余裕を持った部屋数を持たなければならないことに合点いかなかった。金もなかった。その結果がこの雑魚寝である。客人が来ると、あれば良かったかなあと思う。帰るとやっぱり要らないなあと思う。結局、建て増しはしないで終わるんだろうなと思う。田舎には土地がある。だから、そこに大きな家を建てて、たくさんの部屋をつくり、客人はそこに泊めてもてなす。そういう文化が成り、だから旅館業が育たなかった。ときは流れて、お盆などの帰省で戻ってきても実家ではなく、ゲストハウスなどを利用する方が増えているらしい。田舎の古い家に泊まりたくない、ということがあり、また、帰省につきあう方がつれあいの実家で気を減らしたくないということもあるようだ。民泊やゲストハウスが賑わっている。こうして、その時代、その土地で生きていくんだろうな。
孫たちが遊びに来たときも、どこか楽しいところや観光処に連れていこうなどと考えない。水族館やなまはげの伝承館などに行ったことはあるが、一度で十分らしい。この庭や牧場に放し飼いすることが一番喜ばれる。今日は珍しくも「海」に行きたいと言った。まあ、ここの庭や牧場の延長のようなところだと思う。こんなんでテーマパークのようなものをつくってもなかなか続かないだろう。
孫たちは田舎の魅力とそこでの過ごし方を良く知っている。のんびりするのが、来る人にも迎える人にも一番なのである。広い庭で水遊びし、花火をし、ヤギに草をあげて、海に行き、ついでネコとも遊んで、ご近所さんのお誘いを受けて芋掘りをし、美味いものを食べ、布団部屋で秘密基地をつくって、きっと最高の夏休みだろう。
秋田の夏の夜の風は葉っぱの上をすぎて吹いてくる。だから、都会のそれとはまったく違う。そんな涼しすぎるほどの昨晩の夜風だった。
メッコのことをちゃんと書かないといけませんね。いつぞやも触れたが、母親はマリ。メッコという名は「マリメッコ」からいただいた。この子の祖母はリンのときに紹介した凄いヤギと同一個体で、メイと言う名前だった。つまり、リンもメッコもこのメイの孫なのである。リンはメイの息子の子どもであり、メッコはメイの娘(マリ)の子どもである。どおりでふたりともスーパー母ちゃんになったわけである。だがこのふたり、顔も体型も性格も乳房のかたちまでもまったく違うのである。ミルクの質まで違う。
リンはメイと顔貌や性格がよく似ている。対してメッコはお爺さんの血筋なんだろうなと勝手に想像している。勝手な想像の根拠ならある。乳房である。私の牧場のザーネン種は全員ルーツが長野である、そして、長野のヤギには乳房にスポットという斑が出る特徴がある。しかし、メッコにはそれがない。染みひとつない綺麗な乳房をしている。メッコのお爺さんはエクスカリバーフロドという大層な名前のNZからやってきた牡である。この系統にはスポットがないのではないだろうか。と勝手に想像している。罪のない、たわいもない想像である。
メッコは私以外の人と距離をとる、少し臆病な子だった。この2-3年で急に懐き始めた。よその人にもフレンドリーに接している。いい子なんだ。娘がリードにつないで散歩させたいという。ご自由にどうぞ、だが、リードを首輪につなぐことすらできなかった。残念でした。
リンは今の時期、メッコよりも多く泌乳する。しかし、秋以降になり、気温が下がってくるとメッコに軍配が上がるようになる。落ち込みが緩やかなのである。同い年の6歳。この牧場を支えるスーパー母ちゃん同士であることに変わりはない。
今日のヤギ時間:トータル3時間30分
大雨で崩れた砂土のどかし作業は、名乗り出てくれる方があらわれ、この日曜に行うことになった。ありがたや。働き者の若者をひとり帯同するそうで、しかもその若者はちょっとのバイト料、ご本人は搾りたてのヤギミルクが対価で十分という涙が出るようなお申し出であった。いつぞや書いたヤギバターの方である。そのミルクでさっそく実験するんだという。ミルクでよろしければ、喜んでご提供します。
今朝は娘たち一家が来るので早めに搾乳して空港にお出迎え。なに、孫目当てですよ。賑やかになった。
さて、ルナのことである。
ルナはアルバイン系の黒ヤギ。「系」と称するのは100%純種ではないからである。そもそも日本ではアルパインの純種はいないんじゃないかな。ザーネン、シバ、トカラくらいではなかろうか、せいぜい。登録して管理しているのはザーネンだけである。
私の店の看板には白ヤギと黒ヤギが仲良く並んでいる。このデザインは開店前から決めていたものであり、つまりヤギを飼い出すよりもこちらのデザインの方が古い。最初のヤギは白ヤギ・ザーネンの2匹だったので黒ヤギはいなかった。このままだと「看板に偽りあり」になってしまう。ほうぼう探して、ようやくみつけた真っ黒黒ちゃんだった。茨城のつくば市まで軽トラで迎えに行ったことを昨日のように思い出す。
種の個性なのか、個体の個性なのかは分からないが、ルナの方がザーネンより勝ち気である。今、4匹のチームのリーダー格である。この春で8歳。最年長でもある。
黒褐色の活発な女の子の名前であるBrunaから名づけた。ついで眼の輝きがお月さんのようだと思ったこともある。
ルナだけは人工授精していない。というのは、日本では人工授精で取り寄せできる精子はザーネンだけなのである。せっかくだから同じような種類同士で交配させたい。そういう思いがあり、アルパイン系のオスを探して自然交配させている。東日本で、また、この秋田でアルパイン系のオスをお持ちの方は非常に少ない。車で高速に乗り、2時間ほどもいかないとならない、往復して1日がかりの行程である。ところが、発情が私や店の都合の良いときにくるとは限らない。忙しくて行けなかったり、おりからの大雨で足止めをくったこともある。このところ発情が不明瞭にもなっている。そういうことが重なり、この春の出産を断念した次第です。
ルナは黒ヤギだが、有色ヤギはいろいろな色の遺伝子を持っているので、どういう色のヤギが生まれてくるか、産まれてみないと分からない。出産するには年齢的にそろそろラストチャンス。この秋は挑戦してみようかな。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
夜半に激しい雷雨があって、裏山の砂を随分流し落としてしまった。日照りで裏山の牧草がダメになり、地肌が露出してしまったので、崩れやすくなっている。ヤギ小屋の一部が崩れてきた砂に埋まってしまうのでどうにかしないといけない。つまり、この砂をすくいとって、どこかにどけないといけない。さて、これは重労働だぞ。どうしようか、考えよう。
現在、搾乳はリンとメッコの2匹から行っているが、牧場には4匹の成体のヤギがいる。すべてメスである。残る2匹はなにをしているか、というと「なにもしていない」。要するに、昨年の秋に受胎することができず、この春の出産を見送った2匹である。
まず、若いヤギの「いちぢく」、リンの娘である。2歳。昨年、人工授精がうまくいかず、とうとう懐妊しなかった。この子は昨年、発情の仕方がおかしかった。通常の発情は40時間程度続いた後、収まって、その3週間後にまた来る。これを翌春前まで繰り返す。受胎できれば発情はとまる。ざっくりこういう流れになる。ところが、昨年のいちぢくの場合、最初の発情が収まった10日後に発情らしいものが来る。そして3週間後にも来る。ホルモンのせいだと思うが、このようにふたやまできるという妙なものだった。最初の山が本発情だと思って精子を取り寄せたが外れた。そのうち、発情シーズンが終わってしまい、人工授精が不発に終わってしまったのである。こうしてうまくいかないなんてことはヤギを飼い始めて初めてのことだった。いちぢくは一昨年は一回で受胎しているから、ホルモンの働きが異常な個体なんてことはないと思うのだが、出産していないにも関わらず、乳房が張っていたので、敏感な体質なのではあろう。今年はどうなるか、要観察、要チェックの身分だ。この数年、秋の様子がおかしい。ヤギの発情を見極めるのが、年々難しくなっている。今年はどうなるか。頼むよー、という気分でいる。いちぢくはリンの後継者として期待して残した子である。残すと決めたとき、名前をつけた。庭にたくさんのいちぢくが成っていた。
もう一匹はルナという黒ヤギだ。この子の事情はまた違う。明日以降の説明にしよう。
今日のヤギ時間:トータル4時間
店は今日から遅い夏休み、天気は夕方から不安定だったが、身も心も軽やかである。昨日から子ヤギがいなくなったので、メッコのお乳が張って搾り甲斐があった。今はこの子とリンの2匹からだけ搾乳しているが、この時期になっても日に4リットルずつは泌乳するスーパー母ちゃん同士である。泌乳4リットルということはふたりで6匹分の活躍をしていることになる。
手搾りなので握力が要る。1匹につき500回以上は握って、離して、を繰り返す。それを朝夕だから、結構な筋トレである。春から秋は腕の筋肉が発達する変な野郎なのである。
リンの母親も優秀だったが、お祖母さんが凄かった。性格は凛として勝ち気で、賢く、グループの長だった。リンは産まれて数ヶ月のときに前足を骨折している。成長著しい時期なので、獣医の指示に従い、添木をせず消炎の塗り薬と伸縮の包帯だけで治療し、人工哺乳と離乳を介添して治療・育児した。数週間で骨折は完治したが、limpと名づけた。びっこちゃんというような意味であり、これがもとでリンになった。私は子ヤギには名前をつけない。情がうつるので、里親さんにお願いしている。命名した時点でこの牧場に残すと決めたわけである。お祖母さんに顔立ちまで似て、ミルクもよく出してくれる。リンの恩返しと呼んでいる。ミルクの女王と妻は呼んでいる。長生きして欲しい。
店が休みなのだから時間に余裕がある筈だが、今日はヤギの世話もルーチンだけで特別なことはしなかった。そのお陰でのんびりできた。明後日からは娘夫婦が遊びに来る。良い休みになりそうだ。売上を集計してみると、コロナ禍の前に戻ったような数字だった。忙しい、忙しいとぼやいていたのは、体力が衰えたせいではなく、真っ当な感覚だったわけだ。良かった。まずは日常を取り戻そう。
今日のヤギ時間:トータル4時間
暑い日が続く、これが残暑というやつなんだろう。それでも昨晩はエアコンを止め、窓からの風のそよぎで心地よく寝れた。コオロギの鳴き声も子守唄だった。みちのくの片田舎に住む特権かな。
今日はDonnaDonna。2匹の子ヤギがMワイナリーさんに引き取られていった。なかなか捕まらず、20分ほども私とワイナリーの方、計4名で大捕物帳を演じた。大暴れして連れて行かれた子ヤギだが、人に懐いていくのは、実は今からがチャンスになる。親の存在から離れるので人を頼らないと生きていけないことを悟るようになるからだ。可愛がってください。
Uさんも立ち会いに来られるようお誘いしたが、他の牧場に行ってみると言う。いろいろ見て聞いて視野を広げるのは良いことです。
これでこの春の子ヤギたちはすべて里親さんのもとへ行き、4匹の大人のヤギだけが残った。淋しくなったなというより、ホッとした感じだ。それは親ヤギも一緒で子育ての緊張から解放される。例年そうだが、面白いもので、子ヤギがいなくなると飼い主に甘える表情になる。親から飼いヤギに戻ったということなのだろう。
子ヤギが離れるのは例年より2が月ほども遅い。ようやく本格的に搾乳できる。発情も直に始まり、来春の出産の準備がもう始まる。なんだか目まぐるしい。
少し落ち着いたら新しい里親さんでの様子を見に行かねばなるまい。大体1週間ほどで落ち着いて、腕白・お転婆ぶりを発揮し出すと思う。その頃に。
メッコの血乳は回復した。立ち直りが早い。これからたくさん搾れる。嬉しい。
フン籠のフンが一杯になったので、堆肥場に捨てに行った。週に一度のペースである。ついこの間までは午後の7時でも明るい空だったが、だいぶん陽が短くなってきた。牧場に戻って、電灯をつけようとしたら充電切れ。追加充電の間、作業はストップだ。最近、クマのことが気になるので、用心のため、豆灯を一晩中つけっぱなしにしている。毎朝、充電をしなければならなくなった。小さいひと手間が増えた。
Y種苗さんに牧草の種を注文した。裏山が日照りですっかり焼けてしまったので、4kgの種を蒔くことにした。来月になったら、雨が数日降りそうな頃を見計らってやろう。
モミガラはどうにかみつかりそうだ。農家の方のものを分けていただくので、細かい調整が要るが、まずは良かった。頃合いをみて、床を綺麗にしよう。
ヤギを飼うことは家事と似ている。平々凡々、つまらない変化のない毎日に見えるかも知れないが、そんなことはない。それどころか起伏に満ちてなにが起こるか予測不能、昨年と同じことを繰り返すようで二度と同じことなどない。
明日から6日ほど、店はお休みにさせていただく。私たちの遅い夏休みだ。
たまるか〜!
今日のヤギ時間:トータル7時間
空飛ぶヤギの続報を。長文になる。
まず、私ごとで恐縮なのであるが、企業勤めの現役時代、私はお客さま企業のITシステムの設計責任者であったが、営業の連中からは、みんなに無理だと断られたら○○のところへ行け、と言われていた。○○とは私のことです。世の中には道理というものがある。一見できないと映るものにも一筋の道はある。ただ、一歩でも踏みはずせば奈落の底に落ちてしまうので、そんなリスクの高いものは阿呆でない限り引き受けはしない。その阿呆であったわけである。たった一筋の道ではあるが、そこを曲芸的にミスなく渡っていけば向こう岸に行ける。例えば、フランスの片田舎の最新工場にFAを入れたり、体制瓦解直後のモスクワにNOTESサーバーを導入したり、電気もなにもないイラクの砂漠の真ん中に基地システムをつくったり、そういうことをしていた。そのための無邪気さと大胆さと繊細さを持っていたつもりである。「曲芸的にミスなく」なんて神業はできっこない。チョンボして奈落の底に落ち、そこから這い上がり、ということをしてきた。そんなこともあって「無理」の二文字を安易に使う輩は大嫌いである。
しかしなあ、しかし、この空飛ぶヤギは、その道筋がみえないんだなあ。リスク云々ではない。やるための道筋がない。
Uさんは、どうしても物理的に空を一緒に飛びたいらしい。秋までにヤギの等身大のオブジェをこさえて実験するそうである。どうして実際に空を飛ぶことにこだわるのか分からないし、その準備としてオブジェまでこさえる意味合いも理解できないが、ヤギと空を一緒に飛ぶこと自体、無茶であっても、あながち無理ではないと思っていた。無理でないなら、お若いのだから気の済むまでやればよろしい、そのためにはなんでも協力しようと思っていた。最大のネックは来春大学院への進学で秋田を離れる予定になったいうことである。私が描いたプランはこうだった。すなわち、来春産まれた子ヤギを生後1週間で初乳と除角が済んだ時点で親ヤギから引き離し、人工哺乳で、Uさんが育てる。人工哺乳用のミルクなどは私の方から定期的に提供する。また、育児に必要な技術を来春まで研修してUさんに習得してもらう。Uさんはこの子ヤギを3ヶ月になるまで育て、その間に交流と空飛ぶことを実現する。子ヤギは3ヶ月の時点で里親さんのところに行く。ミッションの終了、という一筋の道である。そのためにはUさんが子ヤギを預かれる身でなければならず、つまり秋田に居続けることが条件になる。それが崩れてしまったことで、無茶が無理になってしまった。来春までしか秋田にいないのだけれど、それまで空は飛びたいようだ。そうなると成体のヤギしかいない。自然哺乳育ち、体重50kgのヤギたちである。私の牧場に足繁く通ってどうにか馴らしたいとのことだが、それができたら苦労はしない。無理でしょ。馴致とは、ヤギに抵抗のあるものを受け入れされることを最終目的にするとしても、ヤギと人との信頼関係の上に成立する。そのために数年の歳月を私はかける。ときどき来て数ヶ月でできる代物ではないのである。厭がる成体のヤギをダミーの熱気球籠に載せようとしたってリードを引きずられるのがオチで、怪我をしかねない。そうするうち、Uさんがリードを手にした途端にヤギたちはヤバイことが起きるのが分かって避けるようになってしまう。首輪にリードをつなぐことさえできなくなる。もはやそこまで。来春産まれる子ヤギたちは院進学の関係で対象になれない。周年繁殖の種でこの秋に産まれる予定の子がいないか知り合いの牧場に問い合わせてみたが、期待できそうにない。土台、そのヤギと空を飛びたいんだけど協力してくれない?と言ってもまともに相手にされない。八方塞がりで、こういうときはゴリ押ししないことである。
異生物とのコミュニケーションという根本課題は十分イメージできていないようで、ここについても足繁く通うことで打開策が見えることを期待している様子だったが、これも無理でしょ。どれだけ物おじしない子でも、いくら顔馴染みになったとは言え、よそのおばちやんに自分の親と同じ距離感でのしぐさなり、言動はしない、それと同じである。ヤギにだって飼い主にしか見せないしぐさや行動があり、それを察知することでコミュニケーションが生まれる。いくら頻繁に来られたとして表面的にしか、牧場に入り込んで来れない人にはヤギたちも表面的にしか接しない。
空飛ぶヤギは馴致の問題なので「平気ちゃん」がいれば大丈夫。だが、コミュニケーションは双方向の通じ合いが必要になってくるので、馴致とはまったく異なる視点での取り組みが必要になる筈。ヤギとコミュニケーションが取れたかどうかをどのように客観的にとらえるかを研究課題にしたら面白いと思う。個人的にはこちらの課題に興味がある。平気ちゃんと一緒に空を飛んで、なにが残るんだろう、と素朴に思う。見知らぬお宅のチャイムをピンポンと鳴らし、初めて対応する闖入者を、不審者か、信用して良い相手なのか、人はなにをもって見極めるのか、を研究したことがあるそうで、ヤギとのコミュニケーションの発想もその延長にあるそうだ。面白い。物理的に空を飛ぶことよりもはるかに面白い。秋田に居るうちは。ヤギと一緒に空を飛ぼうとしたり、異生物コミュニケーションを自ら図ったりと、自分が主人公になることは、もう諦めた方が良い。馴致したヤギと空を飛ぶことと、ヤギという異生物とコミュニケーションを図ることは、混同し易いが、まったく違う。しかし、どちらにも言えることは自分が主人公になりたいならヤギを飼わないといけない、ということだ。誰かのヤギで主人公にはなるのは難しい。
それではなにもできないのではないか。そんなことはまったくない。ヤギとそれに関わる人を幅広く研究対象にし、自分は第三者の客観的立場に徹するよう見直せば良い。主人公はヤギであり、その飼い主だが、そこに研究者として入り込むのである。
この活動をプロジェクトとするなら、今はプロジェクトメーキングという大事な時期になる。秋田を来春離れることが見えてきたのであれば、このプロジェクトも大胆に見直せば良い。勇気ある路線変更である。
来春まで、秋田に居るうちにできること、来春以降、大学院進学あいなってから、そちらの地に足をつけてやっていくこと。自分がヤギ好きという感情でやりたいこと、研究テーマとして腰を据えてつきあっていけること。それを冷静に整理することが大事だと思う。
道筋のない道は渡れないから。
https://www.bbc.com/japanese/45339078
今日のヤギ時間:トータル5時間
ヤギと空を飛びたいという美術大の学生、Uさんがやってきた。これで3回目の来訪。熱心である。今日は「空を飛ぶ」とはどういうことなのかという話し合いが中心だった。
顛末を語るのは少し時間をいただいて整理してからにさせて欲しい。結論だけ先に言うと、これは無理があるなあ、と言う気がしてならない。気の済むまでやれば良いことだが、秋田に居るうちにやることと、来年の春以降、秋田を離れてからやることを整理してかかった方が良い。
う〜ん。
今日のヤギ時間:トータル7時間
ランチタイムの後、先日去勢手術で使った部屋のモミガラを交換しようと思いたち、新しいモミガラを貰いに行った。ところが「ない!」、からっぽ。そう言えば、昨年の今頃も枯渇したのを思い出した。例の米騒動の煽りで、今年もすべて籾摺りしてしまったのだと言う。モミガラは、籾摺りによって玄米を精製するときに出てくるものだから、もうないわけである。異常気象のせいではあるが、昨年の反省をまったく活かしていない己の学習能力のなさがことさら恨めしい。今年もこうなるとはなあ。次の籾摺りは新米が出てからの11月かなあ、ということだった。2ヶ月以上の空白はまずい。毎年酷くなっていく気候や農業生産人口の減少などを考えると、モミガラがいつでも手に入る時代ではなくなったと覚悟すべきだろう。米どころ秋田で、まさかモミガラ探しに奔走するとは思いもしなかった。厭な時代になったものだが、モミガラ探しの旅に出ねばなるまい。
いや、「旅」などとロマンチックなことを言っている場合ではない。牧場に戻って、術部屋の床を綺麗にする。干し草の屑などもひとつひとつを拾い、今あるモミガラ床をしばらく使っていけるようにした。モミガラの奴、あっという間に貴重品になったものだ。
部屋掃除が終わってから、配合飼料を引き取りに行った。取り寄せている銘柄のものだ。忙しい日だったが、とまれ、これで通常の体制に戻った。ひと安心。
この間、「馴致」に関するコメントをしたが、自然哺乳を礼賛し、人工哺乳を疑問視するようにとらえられる内容になってしまった。誤解のないよう補足したい。
人工哺乳には、ミルク目的としてもメリットが多く、子ヤギの馴致を含めて、これからの近代的な飼養の中核になるべきものと実は思っている。
私の場合は自然哺乳なので、搾乳は子ヤギが里子に出てから本格的に行うが、人工哺乳であれば、親子を分離した時点で搾乳が開始される。自然哺乳よりは場合によって3ヶ月も早くなり、生産性の観点から非常に大きい。人工哺乳は親ヤギから搾ったミルクを与える方法と人工乳を使う方法とがある。後者なら親ヤギから搾ったものはまるまる人のために利用できる。これも生産性の観点から非常に大きい。つまり、人工哺乳は馴致のためではなく、ミルクを確実に長く利用したいという人の知恵から発展したやり方と言える。馴致はその副産物なのである。
この副産物だって魅力だ。やはり、人懐っこいヤギは扱い易い。馴致の訓練も要らなくなる。この牧場に遊びに来る方も、里親さんもさぞかし喜ぶだろう。
所謂発展途上国のヤギたちも人工哺乳で育てられることが多い。生活のために生産性を上げたいからである。また、自然哺乳している飼養者でも人工哺乳の経験は大なり小なりある筈だ。親ヤギのお乳が少なかったり、子ヤギが怪我などでその子だけお乳にありつけないことがあって、その措置として人工哺乳を施すときがあるからだ。
人工哺乳に必要なのは親子を分離して飼養する物理的な環境(人工哺乳を主として行う場合)と人工哺乳のための時間、技術、用具である。
私の牧場を含めて日本で人工哺乳が飼養の中心にならないのは、個人の小規模飼養がほとんどであるからだと思う。人工哺乳に伴う親子分離飼養のための環境は、子ヤギを育てる数ヶ月間、牧場をふたつ持つのに等しく、金銭的、時間的に難しい。お金をかけて楽になるどころか、負荷が増えてしまうことがネックである。
私の場合、既に毎日4時間を超える労働をヤギのために費やしており、人工哺乳や分離した牧場の管理に、更に世話時間がふえることは受容できそうにない。飼養のレベルを落とせば、そういう時間がつくれるのだろうが、人工哺乳のために衛生などのレベルを悪化させるのは本末転倒だろう。
人工哺乳は魅力的だけど、やっぱりできないかなあ。なにか手はないのかなあ。これが本音です。
今日のヤギ時間:トータル5時間30分
今日は穏やかな雨上がりだった。
ついにリンが血乳から脱した。バンザーイ!停止期間は3週間ほどだった。そう喜んだのもつかの間、メッコが両側とも血乳になった。やれやれ。
私たちの基準は相当厳しいと思う。少しでも色合いが変だと出荷しない。このところは左と右の乳房を違うバケツに搾り分けている。つまり、リンの右左、メッコの右左と4つのバケツに搾り分ける。それから厨房の明るい照明の下でそれぞれをチェックし、完全に真っ白なものだけを合格にして、低温殺菌にかける。そうでないものは残念ながら廃棄する。血乳に害はないので、そこまでしなくとも良いのかもしれないが、夫婦の性分なんだろう。そんなわけです。もうしばらくお待ちください。
さて、昨日に続いて駆虫のこと。
この日記はそもそもひとりのヤギ飼いが気ままに綴るアマチュアなものである。だから、決して鵜呑みにしないでいただきたい。という前提のもとで、駆虫信者のみなさんに是非聴いて欲しい。
まず「駆虫」は治療であるということ。予防ではないということである。ウイルスの抗体をつくるワクチンなどとはそもそも違うわけである。私たち人間も子供の頃に駆虫剤を飲んだ記憶があり、あれは予防行為であったと思い込んでいる。だから誤解され易いのだが、そのときに体内にいる寄生虫やその卵などを駆除するだけのことであり、その後入り込んだものに薬効が届くわけではない。
次。寄生虫には線虫や条虫など、いろいろな種類がいて、そのすべてに効く駆虫剤はないということ。つまり、すべての種類の寄生虫を駆除するためには、複数の薬を用いる必要がある。
その次。駆虫して体外に出た寄生虫の一部が生き残って他のヤギに経口して移ってしまう恐れがある。逆効果にならないよう投与の方法に気をつけなければならない。
その次の次。駆虫剤が100%効いて、寄生虫を絶滅できれば良いが、生き残ったものが耐薬性を帯びて、やがて駆虫薬の効かないものたちがはびこる恐れがある。実はこれが一番怖い。
こういうことを知らないで駆虫神話に踊らせられないで欲しい。
虫卵試験というものがある。ヤギのフンを採集し、体内に寄生している虫の卵を計測して、どれだけ、どういう虫に寄生されているかを見極めるやり方である。本来は、こういう試験手順を経て駆虫プログラムをつくり、体系的に根絶すべきものである。素人には無理で獣医など専門家の力が要る。そういう手順や専門的な知見も得ず、ただ駆虫剤を投与して自己満足してはいないだろうか。
体内に居る寄生虫は「見えない」。見えない敵に私たちが対処し得るのは、薬剤ではなく、基本の基本に忠実であることだ。駆虫しているから大丈夫という安心感に頼るのはやめよう。結局、衛生と観察がもっとも大事なのではないか。それを愚直にやっていきましょう。
なお、頚椎に寄生する糸状線虫は感染経路や感染部位などが異なる。私もこの寄生虫に関しては年に数度の駆虫を行う。念のために申し添える。
今日のヤギ時間:トータル5時間
今日は激しい雨が降ったかと思うとパタリとやんで、しばらくするとまた激しく降り出す、そんな妙な天気だった。明日の朝まで続く予報である。線状降水帯と言い、このところの天気の特徴らしい。つきあいにくい奴、どうやら君とは友だちになれないようだ。地域によっては避難勧告や被害も出たそうだ。大禍ないよう祈るばかりである。こうしている内、一雨ごとに涼しくなって、夏が終わっていくのだろう。
リンのお腹はどうやら杞憂だった。昨日の夕方にはいつもの健康体のものをポロポロと落としていた。あの臀部の汚れはなんだったのだろう。でも良かった。
私はフンには敏感である。
いつぞや話したとおり私は駆虫を一切しない。この牧場で、この飼い方をしていれば必要ないと思っているからである。これは家保の防疫担当の方とも相談して決めたことではあるが、経験的なこと、体感的なことを元にしており、なにかの科学的データを根拠にしているわけではない。だから内心は常に怯えている、のが本音で、従ってフンなどの状態に敏感なのである。健やかなフンは、ルーメンアシドーシスがなく、消化が順調に行われているという指標であるが、さらに内部寄生虫に罹患していないことの証でもある。寄生虫に罹ったらどうしよう、笑われ者だな、という心理がある。
そうならいっそのこと駆虫してしまえば良いのにと思われるだろうが、天邪鬼なもので、これでいいんだと考えてしまう。良い環境をつくって、怯えるように敏感に観察することが正しい道である、と。面倒くさい奴ですね、すいません。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
リンのフンが緩んでいるようだ。「ようだ」というのはフンそのものが見当たらず、臀部の汚れでそのように類推できるからだ。ヤギはフンを結構頻繁に出すので、例え水便であっても見つけるのは容易だ。それが一向に見当たらず正常なコロコロのものしかないのが不思議だが。余計に気になる。
配合飼料を変えたせいだろうか。思い当たるのはその程度。私はヤギ用としてみつくろった、少し特別な飼料を取り寄せて使っている。例年、お盆休みの対策として少しまとめてあらかじめ注文しておくのだが、バタバタに紛れて忘れてしまい、切らしてしまった。そこでJAの購買センターに常在しているものをつなぎで使っているが、それが合わないのかも知れない。だとしたら、申し訳ないことをした。他のヤギたちは大丈夫なので、少し様子を見てみよう。
こういうときは思い当たることがある方がむしろ良い。なにもなくて、つまり原因不明なのに異変だけあれば、厄介な病気かも知れないからだ。様子を見る限り、大事ではない感じだが、あとは見守ろう。
敷料はモミガラだけをシンプルに使っていることを先日お話しした。オスの子の去勢手術にあたって個室に隔離する際、獣医さんの指示に従い、そのモミガラの上に干し草を重ねた。術後、子ヤギをそこで数日隔離して、敷料の大切さにあらためて気づかされた。
干し草を敷くとフンなどの汚れが、その隙間からこぼれ落ちるので、掃除のしようがなくなる。こぼれ落ちたフンは人目につかないので床は綺麗である(と見える)。だから、隔離の丸二日、この部屋の掃除はし(でき)なかった。
私の知り合いのヤギ飼いはみな、ほぼこの方式でやっている。稲藁や干し草を敷き詰めるのである。汚れが目立ってきたら、その上にまた新しい稲藁を敷く。床掃除は普段はせず、年に何度か総取り替えする、そういうやり方である。総取り替えのときは大仕事であるが、日々のメンテナンスはほとんどない。汚物は堆積するので牧場臭などの元になる。
モミガラだけだとそうはいかない。落ちたフンや汚物が目立つ。おしっこを吸湿せず、コンクリート床も浸潤させないので、やがて濡れが表面まで浮いてくる。つまり、日々のメンテナンスが求められるやり方だと思う。
日々のメンテナンスで時間をとられる。しかし、汚物は堆積せず、いつも綺麗なので牧場臭がしない。
隔離が終わって、部屋の干し草を取り除いたら、たくさんのフンが溜まっている。やはり、こまめに拾った方がこの牧場は良いなと、そう思った。
日々の作業が楽で、しかも汚物が堆積しない方法がないのかって?ないんだなあ、これが。
今日のヤギ時間:トータル4時間
調べてみたら、メッコの血乳は右だった。リンの右もまだ完全ではないので、使えるのは半量ということになる。ミルクをお待ちのみなさんには、たいへん申し訳ないが、しばらくお待ちください。赤血球を除去できるフィルターがあるそうだが、目が細かいので通常のGではダメで加圧が必要らしい。農作物の宿命です、ご理解ください。
今日は術部屋を片付けた。片付けたと言っても干し草を取り去り、水場を撤去しただけだが。干し草の屑がモミガラの上にたくさん散らばっている。ひとつひとつ拾うよりはモミガラごと交換した方が早そうだ。が、ここで時間切れ。明日以降、天気と相談しながらやることにしよう。ついで、少しガタついていたこの部屋の扉を修繕した。そういう余裕が出きてきたようだ。
ツクツクホーシが啼いている。夏の終わりを告げる蝉だ。暑い日が続くが、ひところのジリジリした感じでは明らかにない。今年の夏も終わりかあ。
歯医者の定期検診に出かけ、明日のイベントの買い出しをした。夕方、地域おこしグループの月例会。そこで、庭で採れたというミョウガをたくさんいただいた。味噌焼きだな、これは。少しのんびりできた一日だった。
この日記を書くようになって、それまで惰性でやっていたことを言語化することで、あらためて考えることがたくさん出てきた。毎日のルーチン作業の中にもなにかしらの意味合いがあり、こうして整理してみると割と理にかなったことをしている、と自分を再評価してみたり、結構狭い領域で拙く偏った知識に基づいて動いていたもんだ、と反省したりで忙しい。
この日記の特徴は現場に足がついている、ということだと思う。毎日、実際に起きたことや考えてみたことだけを書いている。何年か後に読み返したらどう思うだろう。ヘボだけど頑張ってたな、と思えればバンザイである。
私がヤギを飼う目的は搾乳だと言っているが、本当はどうなんだろう。飼いたいから飼っている、だけなのかも知れない。それが本当に一番近い気がする。
だとすれば、僕がこれからヤギと一緒にしたいことはなんなのだろう。この日記を書き進めていけば見つかる気がする。見つけてみたいな。
今日のヤギ時間:トータル5時間
お盆の週の最後の週末が今日で終わった。一年のうち、もっとも忙しい狂躁の日々をどうにか無事に乗り超えてホッとしている。
お昼過ぎ、藤里のSさんが顔を出してくれた。第二牧場をまかせ、今年からはあらたに子ヤギも飼い始めた。触れ合い牧場をつくりたいらしい。マイクロリーフをレストラン向けに卸し、ゲストハウスや農業も多角的に行なう起業家である。これから、ふらり自転車放浪の旅に出るんだと言う。ゲストハウスに来られる外国人客向けのサイクルコースのルート開拓を兼ねていると言う。30代でまだ若い。空模様が怪しいが、夏の雨は若者には爽快だろう。人生、楽しんで欲しい。彼は人を雇用する経営者だから、こうしてヤギの世話を任せて自分をヤギから解き放すことができる。ヤギや店に束縛される私とは違うが、かくいう私は敢えてそういう道を選んだのであって、それぞれの選択の結果、ということだ。ヤギ飼いが100人居れば、100通りの飼い方・接し方がある。それで良いのである。
メッコが血乳を起こした。ひどくはないが、ミルクが淡いピンク色になる。リンは随分良くなってきたが、まだ100%とは言えない。もったいないが、搾ったミルクはほとんど廃棄することになる。ヤギは血乳を起こしやすいし、今の時期には良くあることだ。だが、2匹ともというのはねえ。血乳になつてもやるべきことはなんら変わらない。世話をしなきゃいけないし、搾らないといけない。搾る人(私)と合否判定する人(妻)が別人で良かった。同じてあれば、せっかく搾ったミルクを無慈悲に捨てることはなかなかできない。やはり夏バテの影響なんだと思う。リンももう2週間になるから長引いている。病気ではないが、早くよくなって欲しい。
昨日に続いて「馴致」について書く。
牧場にやってくる常連さんのひとりにIさんがいる。ヤギが大好きで、かつ詳しいこと、この上ない。県内のどこに、どういうヤギがいるのか、すべて掌握している。全国のこともかなり掴んでいる。私の牧場の扉の開け方を知っているので、ひとりでやってきては、ひとりで入り、真っ直ぐにヤギに向かって駆け寄っていく。ヤギたちは血相を変えて逃げ出す。彼には少し知恵遅れがあり、何回もやってきては、いつも同じことを繰り返している。ヤギたちに触れられもしないのは気の毒だが、ヤギ好きの衝動を抑えないと無理だろう。これと同じのが子どもたちであり、だから、ヤギ(に限らず動物)は子どもが苦手である。
真っ直ぐ近づいてくるものを恐れるのは本能だが、平気なヤギもいる。人工哺乳で育ったヤギである。人を親だと思うので、人との壁がなく、とても人懐っこい。誰にも警戒心を見せないので、こういうヤギは可愛がられる。
私は自然哺乳派である。親子が一緒に暮らせるのは、せいぜい生後3ヶ月間である。せめてその位はおっぱいも親から自由に飲ませたい。親から引き離して人工哺乳すれば、確かに人懐っこいヤギにはなるが、所詮それは人間のエゴなのではないか、と考えている。しかし、そうなると兄弟や親より人の存在は遠くなる。大人のヤギたちは自分の子以外の子ヤギをけむたがって、いじめるので子ヤギに防衛本能が働いて人からも逃げるようになる。しかし、長く、根気よく育てているうち、普段接する飼い主などとは信頼関係が出来る。名前を呼ばれると近寄ってきて甘えるし、搾乳のときは順番に並び、おとなしく搾られるようなる。十分懐くのである。今、Mワイナリーさんに行く4ヶ月目の子たちは、この馴致フェースの真っ最中である。昨日まで逃げていたものが近づいてきて舐めるようになり、触られても逃げずに撫でられるようになる。日に日に懐いてくる変化は面白い。
来年から搾乳していく予定のいちぢく、という名のヤギがいる。今、乳房を触ってもじっとしていられるように訓練している最中である。敏感なところなので、触られることを嫌がって、さかんに足をあげて拒否する。餌やりの都度、保定しては全身を触りまくる。こうして徐々に慣らしていく。根気良く、根気良く、が呪文である。
だとしても、長く連れ添った親ヤギであれ、真っ直ぐ近づくと、それが私でさえ避けようとするだろう。つまりは、いくら馴れても自然哺乳の子には限界がある。ヤギと人は異なる生き物なのだから、そういう限界があることを私はむしろ好ましいと思う。ヤギをイヌのように見立てることには違和感を覚える。みなさんはいかがだろうか。
「馴致」のレベルは、ヤギを飼う目的によっていろいろになる。搾乳が目的の私の場合は自然哺乳のレベルで十二分であり、馴致よりむしろ健康、そして乳量や質が重要である。だが、この牧場に遊びに来られる方はお乳よりは懐きの方が大事なんだろう。Iさんは近寄っても逃げないで欲しいと切に願っているだろう。観光目的には、そういうヤギが望ましいと言える。ヤギは一日にしてならず。出自を良く確かめて飼い始めることをお奨めします。
今日のヤギ時間:トータル5時間
この一週間は厳しい残暑だそうだ。まだまだ暑い。この数年、秋がはっきりせず、失われた季節のようになってしまった。今年はどうだろうか。
去勢オスの経過は順調で、さすかに昨晩は術部が痛い、痛いと泣いていたが、随分柔いだのか今朝から盛んに外に出たがっている。食欲もモリモリ。明日午前までは隔離を続けるが、大丈夫そうでひと安心である。
Mワイナリーさんに下旬にはお渡しできるだろう。子ヤギが去った牧場は祭りの後のような寂寥感があるが、いよいよ本格的に搾乳が始まる。
今、親ヤギは4匹で、うちこの春に出産したのは2匹だから、搾乳はこの2匹からである。たった2匹と思われるだろうが、合わせると日に10リットルも泌乳するスーパースター同士で、10リットル搾るのはそれなりに骨の折れる労働である。
牧場に来られた方に、お乳搾りをやってみたいですか、とうかがうとやりた〜い!、という声が圧倒的にあがる。その声に応えるかたちで何度か体験会を開いたことがある。コツを教えても、いきなりは上手くいかない。額に汗かきながら悪戦苦闘しているうちに、チューっと真っ白な一筋のミルクが搾れる。歓声があがる。感動の瞬間である。
ヤギにとっては、どうやら迷惑らしい。「手が馴染む」というが、飼い主には毎日の作業なので手がスッと乳房に伸びて、それがベストポジションである。手の位置や角度など、実は一匹一匹違う。右と左でも違うし、乳房の張り具合でも違う。これを瞬時でやるのだから我ながら凄いと思う。自分にではない。人間とは凄いもんだと思う。馴染んだ手でやると手際が良いのでヤギも率先して搾らせてくれる。だが、それ以外の手は嫌がる。足をバケツに突っ込んだりしてひと騒動になる。
どうやら、乳搾り体験は、やりたい「人」を優先するか、迷惑な「ヤギ」をおもんばかるかということのようだ。私の信条はヤギファーストなので、結果、滅多なことではやっていない。これを解決するには、乳搾りを迷惑ではないと感じるヤギを育てるしかないんだろうと思う。人との壁を持たない「観光ヤギを」である。
こういうヤギは産まれて早々、親から引き離し人工哺乳で育てる。人を親だと思うのでとても人懐っこくなる。こういうヤギがいれば良いと思う。しかし親と子を分離して育てる環境づくりだとか人工哺乳の手間だとか、相当に負荷がかかつてくる。飼い始めの10数年前ならともかく、もうできないな、と思う。
この牧場は搾乳を目的にして運営している。
ヤギたちは温厚で、人馴れしており、人を攻撃したりすることは絶対にない。
それでも人との間には距離があり、馴れた犬のように扱えるわけではない。
そのことを踏まえて接して欲しい、と、そういうことです。すいません。
今日の仕事を終えた頃の空はもう満天の星空。手を伸ばすと届くようだ。あの星座の名前がわかったら、どんなにいいだろう。いつもそう思い、いつまでもなにもしない。それでも今日も思います。あの星の名前はなんだろう。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
オスの子ヤギの去勢手術を行なった。生後3ヶ月を過ぎているので外科処置が必要になり、獣医さんに来ていただいた。私が行う場合は生後1ヶ月の時点でリング法でやる。輪ゴムで睾丸を縛りつけ、壊死させる方法である。羊の断尾で使うイラストレーターという器具と専用の輪ゴムを使う。このとき睾丸を2個とも括ったことを確認していなかった。そのことに最近になって気づいたのは、ことさらに迂闊だった。
来ていただいたのはかかりつけのS先生ではなくO先生。牛の専門医の方である。外科の処置が必要なときはS先生経由でお願いしている。牛も山羊も反芻動物なので、生理に共通するものが多い。近代的なヤギの飼育法は牛を範とし、牛とヤギとの違いを見定めるやり方をとっているように、私には見える。こういうときに失礼とは思いながら、日頃疑問に感じていることを矢継ぎ早に質問した。牛の場合は、、、という前提条件つきながら、すべて回答いただいた。スッキリ。
私はヤギ小屋にモミガラを敷いているが、手術した傷口からこれが入って化膿などすると厄介である、モミガラの上に大量の干し草を敷き詰める。手術はつつがなく終わり、数日は個室に隔離して経過をみる。
去勢したオスは尿道結石に罹りやすいと言われる。去勢によってオスのホルモンが抑えられる。つまり、オチンチンが大きく育たないので、尿道も細いままになり、石が詰まり易い体質になるということである。生後1ヶ月、というのは尿道の生育を待つという意味合いらしい。結石を防ぐ成分を配合した鉱塩などもあるようだが、濃厚飼料を控え、水を十分に飲ませることが基本である。怖い病気なので、症状が疑われたら、素人判断せず獣医に相談してください。
このオスの去勢に私は失敗してしまったが、生後3ヶ月過ぎまで「玉つき」で成長した。この間、チンチンも順調に育ったろう。結石にはならないで済むかな。そうなら、これはこれで幸いなことだ。
さて、しつこくフン拾いの話をしよう。雨の日はパドックのフン拾いはできない。ヤギ小屋は室内なので雨の影響はなく、一年365日拾い続けている。雨が続くと屋外のフンは溜まり続ける。雨上がりの日は、だから忙しい。熊手を使ってかき集めたりする。掃除後のスッキリ感はなかなかなものである。
夜半の雨も上がって、今日は良い天気だった。レストランもひと段落し、このところの忙しさにかまけて、出来ていなかったことをまとめてやった。ああ、スッキリ!
今日のヤギ時間:トータル9時間30分
今日はオスの子ヤギの去勢手術の予定だったが、獣医さんのご都合で明日に延期された。そこで、昨日の続きを。
私はヤギのフンをこまめに拾っている。日に3時間もかけて、ひとつひとつつまんで集めている。特殊である。こういう飼い方をしている方はまずいないと考えてください。
私の牧場はレストランに併設している。お食事処である。そこに来られるお客さまを牧場臭でお迎えするわけにはいかない。臭いや衛生に人一倍気を遣っている、というのがフンを拾う理由である。その甲斐あって、臭いが一切しない。そういう観点では屈指の牧場だと自負している。
牧場臭は、堆積した糞尿や食い残しの餌などが微生物などの掃除屋によって分解され、一部が腐敗菌に浸かったことによって発生する腐敗臭がもとになっている。勝手なもので、人の都合に良いものを「発酵」といい、そうでないものを「腐敗」と呼んでいる。牧場はその両方が並行する、多様な微生物の宝庫であり、牧場臭はその副産物である。私はその副産物を避けようとして多様性を放棄していると言える。わざわざ時間と手間をかけて、ロストしているわけである。もっとも病原菌もその一員なので罹患のリスクは随分小さい。わざわざ時間と手間をかけるだけのことはある、と言える。
フンは市販の手提げの野菜カゴにとる。周りのモミガラや砂と一緒にすくい取る。網状になっているカゴで、ある程度たまったら、このカゴをフルフルと振るう。網の隙間からモミガラや砂だけが振るい落ちる、という寸法である、こうしてフンだけで一杯になると、更に大きなカゴに移して、これが溜まったら軽トラに積んで堆肥場に運んでいる。一年かけて完熟させる。この光景を見た方はみなさん、呆れる。なんて非効率なことをしているんだ、と。もっと工夫しろ、と必ず言われる。しかし、いろいろ試してもこの原始的なやりやたが一番良いのだ。
私の牧場は砂地なので、こういうことができる。山野の雑草地では無理だろう。ちなみに私は駆虫をしない。腰麻痺の予防は行うが、胃腸に寄宿する内部寄生虫のものは一切しない。発病レベルまでの寄生虫は私の牧場にいないという判断である。なかなか思い切ったことで、ヤギ仲間にはえっ?と驚かれる。これもまたフン拾いの福産だと思っている。
フン拾いの時間は健康チェックと観察の時間でもある。様子の変なフンがあれば誰のものかを特定し、経過をみていく。コミュニケーションの時間でもある。ヤギたちが入れ替わりで挨拶しにくる、まあ、私の様子をうかがいにくる。挨拶を返し、撫でてあげる。生き物は良く入れて、良く出していれば、まず大丈夫。フン拾い、結構貴重な時間なのである。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
忙しい、忙しい、とぼやきながら、日に4-5時間をヤギの世話に費やし、しかも、それが必要最小限などと言っているものだから、これではヤギとはなんと手間のかかる動物なんだろうという無用な誤解を招きかねない。そんなことはないので安心してほしい。端的に言えば、私は時間の使いかたに無駄が多く、これほど時間をかけなくて済む効率的なやり方はたくさんある、ということである、
私が毎日行なっている作業内容や所要の時間のことをお話ししましょう。必ずやることはフン拾い、搾乳と餌やりのふたつである。「観察」は非常に大事だが、このための独立した時間はない。フン拾いや餌やりに並行して行なっている。手はフンを拾うために動かしているが、目や耳、鼻も使った注意力はヤギに使っている。費やす時間のことだが、フン拾いに1時間半を朝夕、餌やりに30分を朝夕をかけている。これで一日4時間、私の場合、今の時期はこれに「搾乳」があるので、加えること15分を朝夕。で、計4時間30分とあいなる。「今日のヤギ時間:トータル4時間30分」というときは、こういう一日のことになる。4時間30分と言えば、相応の時間だが、その割りに内容はチープでたいしたことない。要するに効率が良くない。
次いで、どういうレギュラーな仕事が他にあるかと言えば、
・食いこぼした干し草のかき集め→焼却
1時間 日に1回
・青草狩り 45分 適宜 多いことに越したことはないが、現実的には日に一度
・集めたフンの堆肥場捨て 30分 毎週
・モミガラ交換 部屋ごとなら2時間/部屋、3部屋全部やるときは4時間ほど 毎月
・干し草交換、搬入 4時間 毎月
・水場の清掃 15分 毎週
・削蹄 15分/匹 四半期
という感じ。
私のやり方はひとつの事例に過ぎないし、それにかなり特殊である、特に毎日のフン拾いをこれだけの時間を要して行う人はなかなかいないだろう。餌やりも個別にやつている。まとめてやれば10分で済む。
確信犯的に効率の悪いやり方をしているとしか自分でも思えない。どれだけ時間をかけて、どういうことをやるかはそれぞれで考えて欲しい。その中で私がなにゆえ、敢えて非効率なことをしているのかを感じて貰えば嬉しい。
理解してほしいことは、ここに掲げた作業のすべてが「物事を前に進めることではなく、マイナスに振れようとする針をゼロに戻す行為である」点である。つまらない、地味なものが大半である。これを雨風吹雪日照り、一年間365日やり続ける、それがヤギ飼いの本質だと思う。
次からはぞれぞれの作業の中身を細切れにしたい。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
メッコ。Mワイナリーさんに行く子ヤギの母親である。変わった響きの名前に聞こえるかもしれないが、この子の母ヤギはマリ。「マリメッコ」から命名した。
一般論を話すと、子ヤギは成長につれ、いろいろなものを口にするようになる。生後2ヶ月で離乳できる。母ヤギと一緒だと2ヶ月以降もおっぱいを飲むが、依存しなくなる。大きくなるに従い、ズンズンと下から突っつくようにして吸いつくので母ヤギも嫌なのだろう。赤ちゃんヤギの頃はじっとして飲ませていたのに、そそくさと避けるようにして立ち去ってしまう。
こうなるとヤギのお乳はいっとき余り、やがておっぱいを出すことをやめてしまう。私はこれを「勝手に乾乳」と呼んでいる。飼い主の意向とは関係なく辞めてしてしまうからである。ミルクを搾りたくてお産したのに、勝手に乾乳されては困る。頃合いを見て、子ヤギが飲み残したミルクを手で搾る。こうするとこの「搾る」と刺激によって泌乳し続ける。
まさしくメッコはそういう状態だった。日に一度余ったミルクを搾っていただいていた。昨晩搾ったとき、随分張ってきていることに気づいた。子ヤギの飲む量がますます減ったのだろう。日に一度の搾乳では追いつかないかも知れない、明日からは朝と夕の2回搾りにしようと思った。読みは当たって朝すでにお乳が張ってパンパンだ。むっ、これはまずい、張りすぎて搾れない。いつもなら5分で搾れるものを、大汗かきながら小1時間もかけて行なった。
私もそうだが、これにはメッコも参ったろう。ご苦労さんでした。完璧に搾り切ったので夕方の搾乳は楽だった。が、今度はなぜか真上にお乳が噴射する。???、一体どうなっているんだろう。
(解説)お乳がパンパンに張るとミルクを搾れなくなります。パンパンに膨らんだ風船が掴みづらいのと同じで、乳房を掴むことができないので、搾れないのです。こういうときでも、そのまま放置すると乳房炎に罹る恐れがあるので、どうしても搾ってあげないといけません。乳首をつまむようにして、少しずつ少しずつ、ミルクを搾っていきます。果てしない時間がかかります。こういう事態を避けるためには、お乳が張り過ぎない間隔で搾るように心がけることです。メッコの場合、日に二度という読みは当たりましたが、今日の早朝に行うべきでした。そこまでは、なかなか読む切れなかったということです。私が、春から秋まで日に2回朝夕と搾る理由は以上のためで、搾乳間隔は人の都合よりもヤギの事情で決まります。寒くなって乳量が落ち出したら日に一度でも大丈夫になります。
乳量が多いヤギはお乳がすぐに張ってしまいます。そういうヤギをお持ちの方はご注意を。
今日のヤギ時間:トータル5時間
ケータリングの「またまた別の団体さん」というのは、ドッグレースの合宿で全国から来られている方々である。この町にドッグレースの本格的なコースを自前でつくった人がいて、その呼びかけで全国大会前の合宿をやることにしたのだそうだ。この春に来られたとき、ヤギミルクをみなさん(の愛犬)に差し入れした。そのご縁で今回のオーダーになった。レース会場に食事をお届けする行き帰りの道路側の風景が気になる。どんな雑草が茂っているのか、美味そうなものはないか、と。これ、ヤギ飼いあるあるでしょう。ケータリングは2日に渡って行ったので昨晩も結構遅くまで頑張った。今日の昼寝は最高のご馳走だった。
ヤギはこのところの忙しさにかまけて、細かいところに手が行き届かない。もちろん必要なことはしている。だからきっと、殆どの方は気がつかないかも知れない。旅館の女将が障子のサンの埃に気をとがめるようなもので、どうも気分がすつきりしない。「衛生」ということで言えば、サンに埃があろうが、なかろうがどちらも大差ないだろう。サンの埃は、だから衛生の問題ではなく、気分、若しくは矜持に関わることだろうな、と思う。
ああー、はやくパドックの汚れを熊手でかき集め、干し草の食い残しも綺麗に拾い集め、モミガラを交換し、削蹄し、身体を濡れタオルで拭いてスッキリしたい。頼む〜!
今日のヤギ時間:トータル5時間
お盆の頃は一年で最も忙しい時期で、今年も目が回っている。今日は団体さまのランチがあり、別の団体さまのディナーがあり、またまた別の団体さまのケータリングのオーダーもいただいた。全部メニューが異なるので、すこぶる楽しいが本当に大変だ。これらの仕込みがなんと明け方までかかってしまい、さしものオイラも枯渇した。こういうことは滅多にないのだが、ヤギに関して必要最小限のことはしなければならない。見るに見かねて、妻が自発的に助っ人を名乗り出てくれた。基本的にヤギの世話は私ひとりが行っているが、体調を崩したり、このように店に忙殺されるときは彼女が助けてくれる。ありがたい。それにミルク。ミルクは搾乳してから、数分の内に殺菌にかける。搾乳は私、殺菌は妻、と役割分担している。こうして、みな、元気で機嫌良く過ごしている。婦唱夫随。
ヤギに自分の夢を重ねる、という話しを昨日した。ヤギバターとクロワッサンのことである。もうひとつ。空飛ぶヤギのお話しを。
先日、秋田市の美術大学の学生が訪ねてきた。用件は「ヤギと空を飛びたい」んだそうである。
???????、意味が分からない。
よく聞いてみると、ひとつには、この、人とは違う生き物と空を翔ぶかのように自在に、コミュニケーションを図りたい、ということ。
ふたつめに、本当に物理的に空を飛んでみたい、そうだ。熱気球に乗り合うことなどを、具体的にはイメージしているらしい。
ヤギ講習のときも必ず申し上げることは、ヤギと人との関係は「自由」だということだ。ヤギを飼う方が自問自答しながら果敢に開拓して欲しい。ただ、誰が飼おうか、どこで飼おうが、どうやって飼おうかが決して変わらないことがある。それを学んで尊重しなければならない。人生をどのように送ろうと、それは本人の自由だが、人間も動物の一員であるからには、栄養や排便、睡眠、運動などを軽んじては生きていけない。人生を軽やかに送るどころではなくなってしまう。それと同じだと思う。ヤギは賢くて柔軟な動物なので、相当のことに適応できる。人の夢を重ねるのにふさわしい動物であり、そのヤギライフはさぞかし素敵なものだろう。そのためにも「ヤギの生理」を知って欲しい。その学生の方、Uさんに協力できることがあれば全部やります。
以下は個人的な見解だが、ふたつめは条件さえ揃えれば比較的簡単。ただ、ひとつめはUさん自身が実際にヤギを飼ってみて、このヤギと一緒にいろいろな経験を積まないと見えてこない気がする。自ら汗をかかないと得られないものがある。もの言わぬ動物と心を通わせることは、結構ハードルが高い。
夢は続く。きっとソロモンの指輪をはめるときが来ると思う。そのときどんな風景が広がっているのだろう。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
新型コロナの波が落ち着いて3年目と考えて良いだろうか。本当は「落ち着いて」などおらず、5類の扱いに移行し、メディアの関心が離れただけである。巷では猛威を奮っているのが現実のようだ。この暑さでエアコンが大活躍し、つまり部屋が密閉されているのが温床になっているらしい。そこに夏休みで人の移動と接触が起こる。気をつけましょう。うがいや手洗いを励行しましょうね。
盛んに騒がれていた頃は家業のレストランに甚大な影響があって、そのためすべて「予約制」にさせてもらった。食材の無駄を出したくなかった。そのような防御的な考えであったか、予約分だけに集中できるので、私たち夫婦のパフォーマンスがあがった。それはつまり、お客さまのご満足につながる。もともとほとんどはご予約いただいていたこともあり、それならばと5類移行後も予約制を継続し、今に至っている。
予約制にして、結構お出しするようになったのがヤギミルクでつくったリコッタチーズである。レモンなどの酸でミルクの脂肪分を固めるが、ミルクの数パーセントほどしかとれない。つくり置きすると臭みが出て来るので、鮮度を求められる調理でもある。いつ、なんにんの方が来られるか分かっていないとなかなかお出しできない季節のメニューと言える。このレストランのリコッタは直前につくる。だから、まったく癖がなくて美味しいのです。
プリンやババロア、アイスクリーム、ミルクジャムにしたり、パンに練り込んだり、ポタージュ、シフォンケーキ、キッシュの食材にしたり、ヤギのミルクはさまざまに利用している。ご近所さんからは「ヤギの店」と呼ばれているようだ。光栄なことです。
ヤギミルクファンの友人の夢は、自分の手で作った小麦を挽いて、ヤギミルクから作ったバターを使ってクロワッサンを焼くことだそうだ。バターは遠心分離させて精製した生クリームをベースにする。ところが、ヤギミルクは脂肪球が小さいので、バターにするのは至難の業である。どうやら自転車にくくりつけて、ロードレースを行おうと企んでいるらしい。どうなることやら。少し涼しくなったらたくさんご提供します。
こうしてヤギたちが誰かの夢につながることはとても嬉しいです。
今日のヤギ時間:トータル5時間
我が家にはテレビがないので今起こっている世情にとんと疎い。功罪比べると功の方が多いと思うが、天気や災害に関しては正確さと鮮度が大事である。ラジオのニュースから流れてくるのは避難命令。日本列島が気圧の狭間にすっぽりはまり込んでしまったようだ。我が家の周辺は大事なく、幸いである。急に大降りになったかと思うと、穏やかな空になる。雷雲が奔っている。ここは穏やかでもあの黒雲の下は酷いことになっているんだろう。
ありがたいことに、この週末もたくさんのご予約をいただいているので、買い出しに出た。東京の甥っ子が夏休みで遊びにきたこともあり、ヤギには余り時間をかけられなかった。
「ヤギ」に対する印象を何人かの方に訊くと「優しくて和む」と言われる。「汚なくて怖い」とその真反対のものもある。それまでどういうヤギに会ったことがあるのか、という経験が大きいのだろう。ヤギ飼いという立場からすると変にバイアスのかかった評価でないことを願っている。ヤギはイヌに次いで家畜になった人間の古い友人である。ヒトの感情を覗き見る名人であるイヌに比べるとそこは淡々としているが「草食動物」ならではの魅力を持った動物だと言う。では、草食動物の魅力ってなんだろう。
大きな声や物音、激しい動き、真っ直ぐ近づいてくるものを本能的に嫌う。従って、ヤギの飼い主はこういう行動を自ずと慎むようになる。一言で言えば、所作が優しくなる。私は草食動物の魅力とは、このことだと思っている。つまり、ヤギそのものにあるわけではなく、それに接する者にもたらす変化こそが、ヤギの魅力ではないか、ということである。ヒトを「良い人」にさせる力である。
「人の感情に淡々としている」と前述したが、それは人の感情を読み取れない、こととは違う。それどころかかなり敏感に察知している。未熟者の私は夫婦喧嘩などすると露骨に態度に現してしまう。これがヤギには分かる。彼女たちは私の喜怒哀楽を理解し、ときにそれを遠巻きにして観る。かなり賢いな、と思う。機嫌良くしているとくっついて来る。だから、多少腐ることがあってもヤギの前では穏やかで上機嫌を装う。上機嫌を演じていると、もともとが単細胞だから本当に機嫌が良くなって来る。
ズバリ、これがヤギの魅力、です。
今日のヤギ時間:トータル4時間
夜半の雨がヤギ小屋の中に吹き込んで一部の床が濡れてしまった。昨晩は雨と知りながら、窓を開けっぱなしにした。蒸して暑かったので通気したかったのだ。雨がやんだら、床のモミガラを交換しよう。
裏山の砂がパドックまで結構流されている。ヤギ小屋の土手側が足首の高さほど砂に埋まってしまった。ちょっと考えないと。
まあ、こうなったとしても降らないよりは降ってくれた方が良い。程よく頼む。
ディナーがある日は、積み残した仕事を、お客さまがはけてから始末することがある。例えば、昨夕はMワイナリーさんでの研修を終えて戻り、搾乳と餌やりを終えて、それから厨房に入った。ディナーを終え、夜9時くらいから残りのヤギ小屋の床掃除を行った。と言うと悲哀臭が漂うかも知れないが、ヤギ小屋の灯の下で行う作業は結構快適で気に入っている。
夏の夜の厄介者はなんといっても「蚊」である。先に述べたように、ここは海寄りの砂地でブッシュに囲まれているわけではないので、蚊はそんなに多くないと思う。それでも、蝿や虻でも、蚊でも、羽があって、飛んでくるやつは始末が悪い。この時期は、ヤギ小屋にキンチョールとどこでもベープとKAKOIを常備している。キンチョールを噴霧し、蚊の総員退避を見届けて作業に臨むが、効いている時間は短い。ガスを出して蚊を誘引し吸い込んでしまう機械もあるようだが恐ろしく高価で手が出ない。なにか目から鱗の画期的な策でもないものだろうか。
夜の時間はネズミどもがうるさい。チュッチュ、チュッチュと鳴き合いながら運動会よろしく我が物顔で走り回っている。狩名人の外猫がいたときはほとんど見かけなかった。動物たちのパワーバランスだ。
近所の児童ケアの子どもたちと職員の方がランチにやってきた。その頃はちょうど雨も止んでいた。これまでちょいちょいヤギ見学にみなさんで来られている。私の牧場のヤギは穏やかだし、綺麗に飼っているので癒されるようだ。
子どもとヤギと、この風景は実に良い。この町にやってきて、やりたかったことがここに現実にある、と思う。日照り続きで草っ原が焼けたせいで、緑ではなく茶色のショウリョウバッタが出るようになった。難しい言葉で正確に言えば「相変異」である。そうとは知らず、珍しいバッタを発見した、と騒いでいる。おいおい、ヤギじゃなくて、バッタかよ!
今日のヤギ時間:トータル4時間
今日は今年の子ヤギ里親さんのひとりである「Mワイナリー」でヤギ講習会を行った。
私の牧場の歴代の子ヤギたちは殆ど県外に居る。好んで県外に出すわけではないだが、何故かなかなか引き合いがなかった。だから、こうして近場に里子が出て行くのは嬉しい。ときどき様子を見に行きます。
Mワイナリーさんでの受講は6名。チームを組んで分担しながら飼うのだそうだ。複数の方が対象なので今回は私が出向いて座学のみ行った。本当は牧場までお越しいただいて、実際、ヤギを観て触れることが一番良い。実習できれは、百聞は一見にしかずになる。
先日、青森の八戸からわざわざ来られた方がいた。ヤギを飼うのが夢なんだそうだ。現実にはいろいろ課題があって難しいようだ。研修だけでも受けてみたらどうか、とお誘いしたら喜んでいた。「飼う」ことを前提にはしない研修があっても良いだろう。
講習は、草食動物の食性に関わることが中心になる。これだけ理解してもらえれば80%大丈夫だ。Mワイナリーさんには、むろん葡萄園がある。微生物の話しをしながら、ヤギとワイナリー、葡萄園とは相性が良さそうだな、と合点した。今回は「馴致」の項目を加えた。Mワイナリーさんには、外からのお客さまがたくさん来られる。ヤギが人に懐くことかことさら大事なことだろうと思う。自然哺乳で育った子でも、愛情を持って根気良く育てていけば十分人懐っこいヤギになる。どうか、人に無用な警戒心を持たないヤギたちになって欲しい。
やったことのないことは、やってみないと分からない。なんでもいい。ささいなこと、分からないこと、気づいたことがらあったら、遠慮せずに連絡ください。くれぐれもお願いしてきました。
子ヤギはもともとは明日引き取りの予定だったが、オスの子の去勢を失敗してしまっていたことに最近になって気づいた。この時期だと私の手には負えず、獣医により外科手術をしなければならない。術日は14日となったが、術後1週間から10日は経過をみる必要がある。つまり、明日の引き渡しはしばらく延期。
ヤギに限らないだろうが、生き物と一緒にいるとこうして、次から次に問題が起こる。経験を積むとトラブルは減るが、ゼロになるわけではない。予定どおりいかないと、それを正常軌道に乗せるために大変なパワーが要る。それを面白いと思えることがヤギ飼いの資質なのかも知れない。ホント、つくづくそう思う。
今日のヤギ時間:トータル8時間
リンはやはり血乳だった。
お乳はそもそもは血液なので、その赤血球がお乳に混ざって出てきてしまうと真っ白なミルクがほんのりピンクに染まる。産後や今の時期になり易いが、病気ではない。多少舌触りに影響があるので商売物にはならないが、害はない。ビタミンKを投与(注射)すると治ると言うが、1週間ほどでとまるのが常である。最初の頃は黒ずんでいたので、これはなんだろうかと思ったが、次第にピンクがかってきた。こういう出方もあるんだとあらためて勉強になった。夏バテなんだろうと思う。ヤギの乳房はふたつある。そのどちらかは正常であることが多い。リンの血乳は「右」でした。大分良くなっている。もうそろそろ復帰でしょう。
今日は予定されていたイベントが雨で中止。27組の親子連れが来られる予定だったので至極残念だが、久々の雨は正直恵みだ。
雨の日は屋外の仕事に制約が出て、やりたくともできないことが多い。裏返せば、結構のんびりできる。最近、本とはとんとご無沙汰だが、気分は晴耕雨読だ。
採草地にしている裏山がこの日照り続きで赤茶色く焼けてしまった。砂山なので山肌から地砂が現れ、こうなると雨もろとも砂が流れ落ちてしまう。
一昨年の夏もそうだった。毎日暑くて、これではたまらんとなり、早々に乾乳した。そうしたら、是非ヤギミルクを売って欲しいとオファーがきた。レストラン向けに一匹だけは搾乳を続けていたので、その年は彼女のお陰で乗り切った。昨年から正式に取引を行って今まで来ている。
一昨年は牧草の種を買い、裏山に蒔いて、緑を復活させた。僕はそもそもはお金のかからない丁寧な暮らしがしたくて、田舎に移り住んで、ヤギを飼い始めた。それなのに、という思いがよぎるが、この様子だと今年もしなきゃいけませんね。蒔き時が意外に短く、9月が適期。忘れないようにしないと。
私の牧場は砂地なので、衛生を保つと言う観点では優れている。なにせ砂の裸地に日光が直接降り注ぐ、しかも潮風だ。雑菌がはびこる隙間がない。しかし、採草となるととたんにダメ土地になる。良いところとダメなところが極端にある土地だと思う
土地もヒトも一緒だ。すべてに優れているものもヒトもいない。良いところを見つけ、そうでないところは工夫していく。そうすることで、総じてその土地やヒトは良くなる、まあ、そんなもんです。せっかく縁あった土地をダメにせず、良い土地にしていきましょう。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
外はとんでもない不快指数、夜半から雨らしい。
私は店舗兼住宅の建物に住んでいるが、密閉性の高い住宅で、しかも昨年エアコンなどを一新したので、かなり快適に過ごしている。ただ、思うのだが、夏はときには汗腺を全開して汗が吹き出ることに任せた方が気持ち良い。
それでも風もなく、湿度はこれからも上がっていくようだ。ヤギたちにはさぞかし寝苦しい一晩になるだろう。気の毒である。
夕方、牧場に行って驚いた。3ヶ月になるオスの子ヤギの顔面が血みどろになっている、除角し切れずに残った角芽から伸びた変形角がなんらかの原因で根元から折れたのだ。ヤギの角には血管が通っており、折れたときにその血管も破れて血が吹き出した、ということだった。
私は人とヤギが仲良く暮らすために除角やオスの去勢は必要だと思っている。どちらも本来ヤギが持つ機能を損ねることなのだから、苦痛を伴わせることになる。それを以て、除角などに反対する方もいる。ここでは詳しく触れないが、私はそれは違うと考えている。ただ無用の苦痛を避けるため、獣医さんに頼んで全身麻酔を施して行なっている。
除角には適期があり、生後1週間くらいに行う。真っ赤に焼けたコテを頭部に押し当てて角芽を焼き切るのである。これでもう伸びてこない、と思いたいところだが、実は一発で止まることばかりではない。特にオスは角芽の勢いが強いので半分以上の確率でまた角が伸びてくる。これを完全に止めるためには、再除角が必要となり、それは1ヶ月以内に見極めて実施しないといけない。
除角しても伸びてしまう角は変形した弱い角である。だいたいはなにかの拍子に折れ、また少し伸びてなにかの拍子に折れ、を繰り返し消えていく。だから、今回子ヤギの角が折れてしまったのは想定内の出来事である。血が流れるのもそう。
ただ、いつもよりも多い流血で、ちょっと可哀想なことをしたと心が痛む。再除角は二度の全身麻酔という体の負担につながるため、私はやらないのだ。う〜ん、オスの場合だけでも再麻酔・再除角を来年は考えた方が良いのかな。
今日のヤギ時間:トータル4時間30分
これだけ雨のない日が続いても、木々の葉は元気に青々している。凄い生命力だ。
ヤギはニセアカシヤが好きなので、近くの空き地で切り倒してきたものを、枝ごとパドックの中に放り入れる。ものの30分ほどで食べ尽くし、やがて木の皮まで器用にはいで食べてしまう。乾草を欠かさず食べられるようにしているが、好きなのは圧倒的に青草である。むさぼる様を見るのは気持ちが良い。アカシヤの他に桑や栗、桜なども大好きだ。アカシヤの木はトゲだらけなので私が結構傷だらけになる。それでも青草の季節は一年の半分ほどしかない。まあ、せいぜい青草漁りを勤しむことにしよう。
ヤギを世話した後、そのまま着替えて厨房に入ることはしない。衛生の観点である。
裏の風除室で作業着を脱ぎ、そのまま風呂場に直行して体の汚れを洗い流してから、ということにしている。11時半にお客さまを迎え入れるなら10時半には厨房に入らないといけない。そのためには10時にはヤギの仕事を終えて戻らないと間に合わないということになる。結構、慌ただしい。
前夜の仕込みが夜更けまでかかるときがある。翌朝、寝坊をするとヤギの仕事が終わらず、途中で切り上げて戻らないと行けなくなる。ディナーがあると更に忙しい。夕方5時には戻らないといけない。ランチが終わって休憩なしでヤギの世話をしたり、あるいはディナーが終わった後の夜9時くらいから灯の下でやることもある。
不思議なのだが、それが、料理もヤギも、ちっとも苦ではない。むしろ楽しんでいる。
「好き」だということに才能があるか、ないかはさして重要でないのかも知れない。努力を惜しまないことができるから。
今日のヤギ時間:トータル5時間
S獣医が電話をくれた。
仔牛の夏バテにはどうやら「リポビタンD」がいいらしい。これ、へえー、ですよね。リポビタンDのビタミン群が効いて仔牛はシャキッとなるらしい。体重50kgあたり、100ccほど。仔牛はまだ単胃状態なので、第四胃に真っ直ぐ届くが、ヤギの成体では1〜3の胃を経由するため効き目は違ってくると思うが、という注釈つき。その他、ダイナミックスという補強剤もあるが、ヤギには成分などを調べて慎重にやった方が良いとのこと。さっそくやってみました、もちろんリポビタンD。ありがたや、それにしてもリポビタンDとはねえ。
今年ももう8月になった。
いつもなら、お盆を過ぎると急に暑熱が和らいで秋を感じるようになる。「毎日、暑いね」と口癖のように言っていた時候の挨拶が懐かしくなってくる。ところが、この数年は夏がダラダラと続いて、いきなり冬がやってくるという感じがする。秋という季節がなくなってしまった。
ヤギにとって秋は発情の季節だから、それがなくなるのは大問題である。日照時間が短くなると脳の松果垂体が感知しホルモンに影響するらしい。この数年はその日照時間が長いままなので発情が来ない。厳密に言うと極めて不明瞭になってしまった。夏バテの影響もある気がする。ヤギ同士なら分かるんだろうと思うが、私のように人工授精で繁殖を施す者にとっては難問をつきつけられる気分だ、
暑い暑い毎日が続いている。この夏は、果たしてどんな終わり方をするんだろう。
今日のヤギ時間:トータル6時間
今日も暑い。台風の影響もあってか、来週はようやく下り坂らしい。雨は恋しいが、洪水は困る。激烈な天候の大変な時代になってしまったものだ。
獣医とY種苗に夏バテのことを相談する。ちょっと調べてみてくれるそうだ。どんな回答か楽しみに待とう。ヤギに詳しい獣医は珍しい。私の主治医のS先生も専門は「豚」。ヤギに詳しいに越したことはないが、大事なことは仕事に真摯に向き合うことだと教えられる。少し時間がかかっても良いものがあるし、急ぐときには他の先生を紹介してくれる。信頼できる先生である。
散水する。鳩や蝶や蜂がその水を求めてやってくる。みな、水が欲しいのだな。
今日は週末分の仕入れや仕込みの日だ。こういうときは、ヤギのことにあまり手がかけれず、ルーチンワークが中心になる。
それでも、餌として放り投げている木の葉を食べた後の枝が随分積み上がったので処分しに行く。捨て場まで軽トラで3往復。細かい枝まで拾っている時間はないので、またにしよう。雑草の刈り払いもそろそろしたいが、そういう時間は今日はなさそうだ。
それでも配合飼料が最寄りのJA支店に届いたので引き取りに行く。買い出しデーなのにヤギに時間をかけ過ぎだ。皺寄せが来そうだ。
私は餌やりを1匹ずつ個別に行う。1匹ずつ、個室に誘ってそのヤギそのヤギごとの適量を与える。個室だから他とは隔離してゆったりと食べることができる。つい、この間まで親と子は一緒だったが、かしましくなつてきたので、別々にあげるようにした。最初の頃はルールの変更が分からず面食らっていたが、すっかり慣れて自分の順番を待てるようになった。あれから1週間で慣れた。お前ら、賢いなと褒めてあげた。
DIYショップで水道のホースも新調する。水撒きが少しは楽になることを期待するが、どうだろう。
蚊取り線香など虫除けの器材をヤギ小屋に取り付ける。数日前から大分出てきた。多少の効果はあるようだ。蠅取りのトラップは明日以降かな。なかなか一気にはできない。
どうしても店のことが最優先になる。お金をいただく以上、当然のことだが、この時期はヤギや庭の仕事もたくさんあるのでたいへんだ。ヤギなど外の仕事も、店の仕事も春から夏がピークになる。冬はどちらもゆったり。こういう季節労働、悪くないが。
今日のヤギ時間:トータル6時間
連日の日照りが続く。リンのミルクが黒ずんで変色。血乳なのかな?ちょっと違う気もする。食欲が落ちているので、夏バテの影響と思う。ミルクは廃棄してしばらく様子をみることにする。1週間ほどはダメかな。
パドックに水を撒く。30分ほど撒いて、搾乳◦餌やりしたら、もう乾いている。ので、もう30分ほど水を撒く。長続きする効果ではないが、しないよりは。
午後、Mワイナリーのヤギ受け入れ環境をチェックしに行く。7/27の引き取り予定が遅れたが、頑張ってここまで整理してきた。8/6に講習。受講生は5名ほどだそうだ。8/7子ヤギ引き取りの予定。
帰り道に井川に寄って干し草をドンと積む。
良い干し草をいつでもつまめるようにしておきたい。
ついで、夏バテ防止のサプリをサンプルでもらう。白い粉状。牛には6月から9月くらいまで餌に混ぜて食べさせるそうだ。ルーメンのPH調整剤といったところだろう。試してみよう。
この夏の暑さは酷い。雨が降らないので、草が焼け、山が茶色くなってしまった。ヤギたちには酷だが、しばらくは工夫しながらも我慢してもらうしかない。井川の牛たちも辛そうだった。
鉱塩を新品に交換。
ヤギもたいへんだが、ヒトも汗まみれでたいへん。頑張ろう!
今日のヤギ時間:トータル7時間
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