日が暮れるとめっきり寒い。もう一枚なにか羽織りたくなる。ヤギ小屋のドアも今晩は閉めた。寒暖差が激しい季節、体調管理には気をつけよう。
今朝からいちぢくがよく啼く。啼く、というよりわめいている。尻尾振りなどはないが、発情のサインだろう。このようにはっきりしたサインは、今シーズン初めてで、少し嬉しい。次は10/30頃だろうから、そこで上手く受胎すれば、来春3/30頃の出産となる。う〜ん、理想的。いちぢくは昨年、発情の山がふたつあって、人工授精に失敗した個体である。そんなこともすっかり忘れて、取らぬ狸の皮を数えてしまうのである。
ヤギの動物としての要素は、人間とどう関わろうとも変わらない。私たち人間の動物としての要素が、どのように生きようとも変わらないのと同等に、である。栄養や運動、睡眠、あるいは衛生など。だから、ヤギと上手くつきあうためにはこの動物としての要素をきちんと尊重しなければならない。例えば、ヤギを肉食獣に変えることはなんびとも出来ない。だが、それさえわきまえていれば、人間とヤギがどう関わるかはまったく自由であって、変な先入観などない方がむしろ良い。私が学生などの若い方がヤギと関わることを歓迎するのは、この可能性を広げたいとら思っているからである。
ヤギと煙は高いところが好き、という諺?がある。斜面の上や崖に登るヤギを見ると「飛ぶ準備をしている」とUさんは思うのだそうだ。私にそういう感覚はないから、きっと彼女ならではのものかも知れない。ヤギが空を飛べないことは小学生でも知っている。Uさんは自分の中で生まれたこの感覚がどういうことなのか平たくしないといけない。動物としてのヤギを飛ばすことはなんびともできない。人間との関わりの中で飛ぶとはどういうことかを定義することになる。
私が住んでいる土地は戦後の開墾地である。戦後の失地回復の中、町(国)が入植を希望する方に払い下げた。入植のみなさんは頑張って拓き、しかし、一代で絶えた。子供たちが全員都会に出て行ってしまったのである。だから、私が移り住んだ頃は20-30年放置された、廃屋と雑木の荒地だった。鬱蒼として土地の形状すら分からないほど生い茂った木々や竹林を伐り落とし、それを燃やす毎日が続いた、あるとき道端に軽トラが止まって、ひとりの男性が近寄ってきた。「お前さんかあ、横浜から来たあだまのおがしいっていう奴は。言っておぐども、ここの土地はおらがだならけるって言ってもいらねえ土地だ」と、それだけ言って、またら軽トラでどこかに行ってしまった。不思議に頭には来なかった。私には、この荒地に透き通って見える一枚の絵があった。
秋を迎える頃には随分平定し、翌年の夏にはレストランの開業に漕ぎ着けた。あるとき道端に軽トラが止まって、あのときの男性がまた近寄ってきた。「いやあ〜、たまげだ。いぐなったなあ!いやあ〜、凄い、凄い」と言って、また軽トラでどこかに行ってしまった、私には見えていた絵が、実像として彼の目にも映るようになったのだ。
私は、是非Uさんの実像を見てみたい。
今日のヤギ時間:トータル6時間30分
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