今日はUさんが来られた。今週末に学祭があって、そこに出展するための動画を撮影するためだった。
研究テーマにおいて、なぜヤギなのかをフォーカスするよう教授から指摘されているらしい。ヤギの特質、つまり魅力はなにか、なぜヤギでなければいけないのかということを言語化して整理しなくてはいけないようでお悩みだった。この教授の方に甚だ失礼であることを承知の上で申し上げると、この指摘は愚問である気がする。もし言語化するとしても、会社の面接試験のような模範的なものではなく、尖ったありのままの表現で良いのではないか。綺麗に言語化することで本来そこにあった筈のエネルギーや荒々しい情熱のようなものがそぐわれてしまうならもったいない。
私の店にはヤギのぬいぐるみや版画を置いている。ぬいぐるみは東久留米市のMさんという方に特別にお願いして作ってもらったものである。特別あつらえの手製だから相応に高くて、滅多に売れることはない。だが、私はこの方の作品が好きで、他に変えるつもりはない。Mさんは「ヤギのちょっと情けなくて切ない感じが好き」なんだそうである。版画はプロ作家の石倉悦加さんのもので、ご自分の作品が「こしょこしょ喋ってたら素敵だ」と感じる方である。このおふたりともヤギを実際に飼われているわけではないからかも知れないが、これらの感覚を私は理解・共鳴することがまったくできない。でもそれでいいんだと思う。そうだとしても私のこのおふたかたの作品が大好きなのである。
人はそれぞれで良いのである。しかし、それぞれ異なる感性や価値観を持った人が作る作品が、そのそれぞれの底辺に流れる普遍的ななにかを雄弁に語る。そこに言葉は無用であり、それこそアートの力である筈だ。そういう学究の庭で研究テーマの言及があるのは不思議なことだ。
私は2011年の夏に今のレストランを開業したが、万人に受け入れられる飲食店であろうとは当初から思っていなかった。当時、秋田県民は100万人。こういうコンセプトを10人に一人が受け入れたら10万人。その10万人の50人に一人が行ってみようと行動を起こしたら2千人。要するに2,000人の方にはお越しいただけるかな、という計算だった。それならどうにかやっていける。つまり、万人に受けるのではなく、自分を誤魔化さないでやっていこうと思っていた。万人に受け入れてもらおうという路線だったらきっと店を潰していた。自分を誤魔化さないということは、大変難しい。他人は騙せるが、自分を騙すことはできないからだ。愚直にやるしかないのだ。
ヤギの特質や魅力を誰もが納得するよう言葉にすることに意味があるとは思えない。それが「研究」というものなら、日本の研究とはなんとつまらないものかと思う。
私にはUさんが目指す「空飛ぶヤギ」のことは理解できない。だから、応援団であろうとも、理解者とは言えない。でも変に小さく丸くならないで今のままでなにかのかたちを創って欲しい。
今日のヤギ時間:トータル8時間30分
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