稲刈りが始まった。黄金色に染まった田んぼはいつもの年と同じように見えるがどうなんだろう。米の価格高騰が日本中のトピックになっている最中での稲刈りだから、その出来高に一喜一憂することになりそうだ。
気象異常は米や野菜の生産に直結するので、その価格が乱高下する。振り回されるのはいつも農家なのだが、いつまでこういうことを繰り返すんだろうという思いがある。農産物と工業製品とでは、生産のプロセスがまったく違うのに、価格回収の仕組みはひとつである。農産物の販売を消費者が100%負担しているというこの構造を変えない限り、改善されない。それを決めたのは私たちであり、変えていくのも私たち、変えられないのも私たち。いつだって政治家のせいにするが、結局は私たち国民の選択の問題なんだろうなと思う。大きな民主国家の舵取りの問題である。
抜本的には地方の生き残りの問題になる。米の価格安定は脆弱な供給力のもとでは望めない。今、田んぼに立っている方の年齢を見て欲しい。この国の農業は早晩たちいかなくなる。もう遅いのか、まだ間に合うのか、なにもしていないに等しいような現状を見るとそういう杞憂が虚しく感じられもするが。
さて、インブリードのことに触れたい。
近親交配では、遺伝子の配列が似ているため悪質な劣勢の遺伝が重なり合うリスクがあるが、一方、人間に好ましい良質の劣勢遺伝が重なる可能性もある。確率論で言えば、前者が圧倒的に高い。ただ、品種改良とは、種の特質を人為的に操作することに他ならない。人間にとって好ましい形質を持った個体同士をかけあわせ、その形質を固定化させるわけであり、家畜改良や育種もそのひとつと言える。それが良識の範囲なら「家畜改良」になり、過度に行き過ぎると「近親交配」と言われる。その分界点はどこにあるのだろうか。
例えばサラブレッド。駿馬の能力を固定する目的で意識的に近親交配を行うことがある。血統表において近親交配となる馬を表すときには、数字を用いて4×5のような表記を用いる。公に評価されている方式で、強烈な能力を持った馬の誕生を期待して、実績を残した種牡馬の濃い近親交配に挑む生産者もいる。その陰の日の浴びないところでは、奇形や脆弱な仔馬が自然、あるいは人為的に淘汰されている。例えば、黒毛和牛。さしの良く入る資質を持った極少数の種オスにより遺伝子の寡占化が進む。例えばイヌやネコ。純血種の特質を維持していくために純血同士の近親が進む。また、生産効率の向上や小型化などを目論む一部の生産者により、近親交配を意図的かつ過剰に発生させるケースが相次いでいる。この結果として奇形や感覚障害といった先天的な問題を抱えるペットが少なからず産まれている。例えば、キャバリア・スパニエル。短命な犬種である。心臓病に罹りやすいのは、純種間での近親交配で負の遺伝子が連鎖しているからだと言う。いずれにせよ、増帽弁閉鎖不全性に苦しむキャバリアに罪はないのである。
私は、これらの事例の底辺に、人間の果てない強欲が脈打っていることを感じる。金や名声。危惧されるのは、こういう事実が殆ど知られていないことである。私たちの目の触れないところで日常的に起っている。家畜の屠殺のように、ゴミの処分のように。まずは知る、ことから始めないといけない。目をそむけてはいけない。その上でなんらかの制度的な規制が必要だと考えている。
ただ、近親交配は品種改良や品種の標準形質維持の重要な手段でもあるため、アウトブリードが正しくて、インブリードを廃絶すべきだという単純な選択にはならない。適切と過度の境界線をどうやって定め、どうやって護るかという論点になる。
血統とはなんのためにあり、誰のために守っていくべきものなのだろう。このことを考えるために次回は近交係数について語ってみたい。
今日のヤギ時間:3時間30分
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