店は今日まで夏休み。
今朝から、崩れてきた砂土寄せのために助っ人が駆けつけてくれた。若者はキビキビ動ける、いいなあ。これで、埋まりかけていたヤギ小屋がスッキリした。小屋の床部に開けてある排水口が砂で埋まってしまって、このままではモミガラ交換しても床を洗浄できなかったのだ。これで、存分に交換作業ができる。枯渇してしまったモミガラは、藤里のSさんとMワイナリーさんの伝手で、保管してある農家や牧場の方を紹介してもらえることになった。ありがたや。今週のどこかで天気と相談して進めよう。あとは、牧草の種蒔きまでできれば完璧だな。
孫たちが来ていたとき、芋掘りに誘ってくれたご近所さんにそのときの芋つるを今度はヤギのためにいただいた。好きでよく食べる。孫にもヤギにも最高のプレゼントだ。
支えられてるなあ、田舎に住むことの特権であるかもしれない。
リンとメッコの搾乳は順調である。休み中、レストランで使うことはないから、ほぼすべてをペットフード会社さんに卸している。こうして漏らすことなく有用に消費できることは、素直に嬉しい。
通常、搾乳したミルクは、①まずレストランで利用する②次に直販を希望する方にお送りする③次いで、ペットフード会社に卸す④最後にご近所配り、サクラネコの会へのカンパという手順で消費するので、余すことなく消費される。使おうと思えば③までですべて使えるので、④は意図的に仕組んでときどきお分けしている。②は今のところ口コミだけであるが、通販サイトを準備中である。
イヌやネコには牛乳ではなく、ヤギミルクが使われる。牛乳だとお腹をこわしてしまうからである。国内で販売されているものはほとんどが輸入のパウダーもので、国産の生乳は希少である。おりからのペットブームで需要も相当あるようだ。
昨日「ヤギは産業的でない」と言ったが、たとえ小遣い程度であってもヤギを飼うことが、お金を得ることにつながるのはとても大切だと考えている。ミルクである必要はなく、除草やペット目的のレンタルであっても構わない。「スーパーに行って200円の牛乳を買ってくるのではなく、たとえ時間の拘束があってもヤギを飼って、ミルクを搾るという考えも認められる世の中の方が素敵だ」と確かに言ったが「お金を得る」ということはヤギ復権の必要条件だと思う。手塩をかけて育てたものがお金に変わることは素直に嬉しい。世の中の方が(私の)ヤギ(のミルクなど)を(お金をかけてまで得たいと)評価してくれる証だからである。張り合いになる。
空飛ぶヤギのことを書いたが、こうした自己実現の夢をヤギに重ねることも良い。伝統的には、ミルクや肉、毛皮などに有用であったが、それは時代とともに変わる。情操や癒しというものにシフトしたとしても、それに応え得るだけのキャパシティをヤギは持っている。コロナ禍が席巻した頃、アメリカでオンライン会議にヤギを参加させるビジネスが流行った。会議が和むんだそうだ。ヤギヨガは今でも続いているらしい。それこそ「空飛ぶヤギツアー」が実現する世の中が来るかも知れない。人とヤギの関係はもっと自由であって良いと思う。
ただ、どのようになったとしても動物としてのヤギは1ミリも変わらない。草食動物としての食性や生来の気質などを人の都合で変えることはいかようにしてもできない。だから、学んで欲しいし、対話して欲しい。また、たとえ小遣いレベルであろうが、お金を得たいのであれば、あるレベル以上でキチンと飼って欲しい。
僕のヤギを通じた夢は、きっとそういうところにありそうな気がする。
今日のヤギ時間:トータル4時間
Copyright © 2016 Farmer's Ristorante herberry All Rights Reserved.